浄照寺 (豊田市)とは? わかりやすく解説

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浄照寺 (豊田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/28 17:22 UTC 版)

淨照寺
所在地 愛知県豊田市若林西町向屋敷62
位置 北緯35度01分53.5秒 東経137度05分57.7秒 / 北緯35.031528度 東経137.099361度 / 35.031528; 137.099361
山号 向島山
宗旨 浄土真宗
宗派 大谷派
創建年 永仁4年(1296年)
開基 存澄
文化財 本堂、庫裏、書院(登録有形文化財
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淨照寺(浄照寺、じょうしょうじ)は、愛知県豊田市若林西町向屋敷62にある真宗大谷派寺院山号は向島山。本堂、庫裏、書院が登録有形文化財

歴史

永仁4年(1296年)、存澄によって天台宗の寺院として創建された[1]

室町時代には本願寺8世の蓮如上人が三河国で布教を行ったことで、永正元年(1504年)には天台宗から浄土真宗に改宗した[1]江戸時代には無住だった時代もあるが、渡邊宗哲によって再興した[1]

1885年(明治18年)には渡邊徹鑒によって本堂の建設に取り掛かり[1]、1898年(明治31年)に本堂が竣工した[2]。かつて本堂の正面には山門があったが、1926年(大正15年)の竜巻で倒壊した[1]

2005年(平成17年)12月26日、本堂、庫裏、書院が登録有形文化財に登録された[2]。2011年(平成23年)には本堂の耐震化工事などが竣工した[1]。2013年(平成25年)には本堂の正面に山門が再建された[1]

文化財

本堂は南東を向いて建ち、本堂の北東の書院が、書院の南東に庫裏が接続している[2]。本堂は入母屋造、桟瓦葺であり、向拝が付いている[2]。正面・側面ともに約20mの大きさであり、正面から吹放の縁、外陣、矢来、内陣、後堂と続く[2]。浄照寺のクロマツは豊田市名木に指定されている。

登録有形文化財

  • 本堂 - 木造平屋建、瓦葺[2]。建築面積480㎡[2]。1898年(明治31年)竣工[2]
  • 庫裏
  • 書院

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『豊田市の寺社建築 2』豊田市教育委員会、1986年。 
  2. ^ a b c d e f g h 浄照寺本堂 文化遺産オンライン

参考文献

  • 『豊田市の寺社建築 2』豊田市教育委員会、1986年。 

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