片野城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 02:53 UTC 版)
片野城(かたのじょう)は、茨城県石岡市根小屋(常陸国新治郡片野)[注釈 1]にあった日本の城。戦国時代には太田資正の居城として知られ、江戸時代初期には片野藩滝川氏の居城となったが、短期間で廃藩・廃城となった。城址は石岡市の史跡に指定されている[1]。
注釈
- ^ 現在の茨城県石岡市片野は、片野城址のある同市根小屋と恋瀬川を挟んで西側の向かいの微高地に位置する。
- ^ 資正は前城主上曽氏の寡婦を後妻に迎えて人心の掌握をはかり[2]、また城下の八幡神社の「排禍ばやし」や七代天神社の「代々神楽」を奉納したと言われる[5]。
- ^ 秋田移封は大幅な減封処分であったため、石塚氏の移転に際して多くの家臣が随行できずに召し放たれて根小屋村に土着したとされる[2]。
- ^ 滝川氏は無城大名であるとして以後の片野城を「片野陣屋」として扱う説もある[2]。
- ^ 旗本滝川氏は滝川正利の死後に娘婿となった滝川利貞が継承し、引き継ぎ片野城周辺を領して泰寧寺を菩提寺としている。滝川氏が片野を去ったのは元禄10年(1697年)、利貞の子の滝川利錦のときである[2]。
出典
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