秩父宮
秩父宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 15:17 UTC 版)
「日本のラグビーユニオン」の記事における「秩父宮」の解説
第二次世界大戦後、秩父宮雍仁親王は多くの競技団体の名誉総裁となり、スキーやラグビーユニオン、その他のスポーツの振興に尽力したことから「スポーツの宮様」と呼ばれた。雍仁親王はJRFU会長の香山蕃が長い航海から帰国し雍仁親王にラグビーを「売り込む」ことができるようになった後、ラグビーに「転向」した。雍仁親王はオックスフォード大学モードリン・カレッジに通ったが、大正天皇の崩御により日本に帰国したため、一期しか滞在しなかった。日本で、慶應対早稲田の試合を見て雍仁親王の興味はさらに強くなり、1926年にJRFUの会長となった。 雍仁親王の死後、北青山二丁目にある東京ラグビー競技場は秩父宮ラグビー場と改称された。ラグビーユニフォーム姿の雍仁親王の像が競技場に建てられた。
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