秩父宮
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秩父宮家 | |
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(家紋)
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家祖 | 秩父宮雍仁親王 (大正天皇の第2皇子) |
種別 | 皇族(宮家) |
主な根拠地 | 東京府東京市赤坂区赤坂表町 (現:東京都港区赤坂) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
概要
1922年(大正11年)6月25日、大正天皇の第二皇子である淳宮雍仁親王を初代として、20歳の誕生日にあわせて創設された。
雍仁親王に子がいなかったことから、1995年(平成7年)8月25日、勢津子妃の薨去をもって断絶[1]。
- 構成員一覧
読み | 性別 | 生年月日 | 続柄 | 概要 | |
---|---|---|---|---|---|
秩父宮雍仁親王 | やすひと | 男性 | 1902年(明治35年) | 6月25日大正天皇第二皇男子 | 1953年(昭和28年) (満50歳没) |
1月 4日薨去
雍仁親王妃勢津子 | せつこ | 女性 | 1909年(明治42年) | 9月 9日松平恆雄長女 | 1995年(平成 (満85歳没) |
7年) 8月25日薨去
系図
脚注
関連項目
外部リンク
- 旧秩父宮 - 宮内庁
秩父宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 15:17 UTC 版)
「日本のラグビーユニオン」の記事における「秩父宮」の解説
第二次世界大戦後、秩父宮雍仁親王は多くの競技団体の名誉総裁となり、スキーやラグビーユニオン、その他のスポーツの振興に尽力したことから「スポーツの宮様」と呼ばれた。雍仁親王はJRFU会長の香山蕃が長い航海から帰国し雍仁親王にラグビーを「売り込む」ことができるようになった後、ラグビーに「転向」した。雍仁親王はオックスフォード大学モードリン・カレッジに通ったが、大正天皇の崩御により日本に帰国したため、一期しか滞在しなかった。日本で、慶應対早稲田の試合を見て雍仁親王の興味はさらに強くなり、1926年にJRFUの会長となった。 雍仁親王の死後、北青山二丁目にある東京ラグビー競技場は秩父宮ラグビー場と改称された。ラグビーユニフォーム姿の雍仁親王の像が競技場に建てられた。
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