梨本宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/22 07:50 UTC 版)
梨本宮家 | |
---|---|
![]() | |
家祖 |
梨本宮守脩親王 (伏見宮貞敬親王の第10王子) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 |
東京府豊多摩郡渋谷町(現:渋谷区渋谷) 東京府東京市麻布区市兵衛町 (現:港区六本木) |
主な根拠地 | 東京都 |
支流、分家 | 龍田伯爵家 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
概要

伏見宮貞敬親王の第十王子・守脩親王が明治維新に伴って還俗し、最初は梶井宮と称し、次いで明治3年(1871年)には梨本宮と改称したことにより、創設された。
1947年(昭和22年)10月14日、3代・守正王の代で皇籍離脱。男系では守正王の代で血筋が途絶えた。守正王は梨本徳彦を養子とした。徳彦の子には徳久がいる。徳彦は守正の養子となる前に昭和天皇から龍田の姓を賜っており、徳久はそれを継承したため、梨本家は断絶した[1][2]。
系図
北朝3代天皇 崇光天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 栄仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 貞成親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
102代天皇 後花園天皇 | 伏見宮 貞常親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔現皇室〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 貞敬親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 邦家親王 | 初代梨本宮 守脩親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山階宮 晃親王 | 久邇宮 朝彦親王 | 〔伏見宮家〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代梨本宮 菊麿王[注釈 1] | 〔久邇宮家〕 | 3代梨本宮 守正王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
方子女王 | 規子女王 | 広橋儀光[注釈 2] | 4徳彦 (守正王の甥、龍田家初代) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
龍田徳久 (龍田家2代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
備考
- 東京都渋谷区の旧宮下町(MIYASHITA PARK一帯)は梨本宮家の邸宅下方に位置したことに因む[3]。
脚注
注釈
出典
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、梨本宮に関するカテゴリがあります。
梨本宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:44 UTC 版)
梨本宮(なしもとのみや)からは当主とその妃の2名が皇籍離脱する。 梨本宮守正王 梨本守正 第2代当主 離脱3年後に逝去する。 守正王妃伊都子 梨本伊都子 守正王妃 鍋島直大侯爵女子。
※この「梨本宮」の解説は、「臣籍降下」の解説の一部です。
「梨本宮」を含む「臣籍降下」の記事については、「臣籍降下」の概要を参照ください。
梨本宮と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 梨本宮のページへのリンク