常陸宮とは? わかりやすく解説

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ひたち‐の‐みや【常陸宮】

読み方:ひたちのみや

宮家の一。昭和39年(1964)昭和天皇の第2皇子正仁親王創立


常陸宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 07:43 UTC 版)

常陸宮家
家祖 常陸宮正仁親王
昭和天皇第2皇子)
種別 皇族宮家直宮家
出身地 東京都
主な根拠地 東京都渋谷区
常盤松御用邸
著名な人物 常陸宮正仁親王
凡例 / Category:日本の氏族
皇室






常陸宮(ひたちのみや)は、日本皇室における宮家の一つ。

概要

1964年昭和39年)9月30日昭和天皇の第二皇子である義宮正仁親王を初代として、親王と津軽華子との婚姻にあわせて創設された。現行の皇室典範の下で設けられた最初の宮家である。

宮号の由来は、常陸国(現在の茨城県)が親王国司とする親王任国であったことによる。

正仁親王に子女がいないことから、断絶見込み。

構成員一覧
性別 生年月日 現年齢 続柄 皇位継承順位
常陸宮 正仁 まさひと親王 男性 1935年(昭和10年)11月28日 89歳 昭和天皇第2皇男子 第3位
正仁親王妃 華子 はなこ 女性 1940年(昭和15年)07月19日 85歳 正仁親王妃

系図

 
 
 
 
 
 
 
124代天皇
昭和天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
125代天皇
明仁
 
 
 
 
 
初代常陸宮
正仁親王
 
華子妃
 

宮邸

宮邸は東京都渋谷区で、2025年令和7年)時点での宮家の中で唯一、赤坂御用地(東京都港区元赤坂)ではない場所にある。

外部リンク


常陸宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 16:49 UTC 版)

百済書記」の記事における「常陸宮」の解説

明仁の弟。田中結託して徳仁暗殺し、自ら即位しようとするが、愛子文仁らに陰謀暴かれ田中弑逆される。

※この「常陸宮」の解説は、「百済書記」の解説の一部です。
「常陸宮」を含む「百済書記」の記事については、「百済書記」の概要を参照ください。

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