常盤松御用邸とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 常盤松御用邸の意味・解説 

常盤松御用邸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 05:04 UTC 版)

常盤松御用邸
常陸宮邸
分類 常陸宮家の邸宅
所在地
座標 北緯35度39分27秒 東経139度42分45秒 / 北緯35.65750度 東経139.71250度 / 35.65750; 139.71250座標: 北緯35度39分27秒 東経139度42分45秒 / 北緯35.65750度 東経139.71250度 / 35.65750; 139.71250
前身 宮内省主馬寮御料乳牛場
東伏見宮
東宮仮御所
公式サイト 常陸宮邸(宮内庁)
テンプレートを表示
常陸宮邸
情報
旧名称 常盤松御殿
用途 常陸宮家住居
構造設計者 宮内庁管理部
延床面積 1,180 m²
階数 地上2階地下1階
竣工 1986年(昭和61年)10月
改築 1976年(昭和51年)12月
所在地 150-0011
東京都渋谷区4丁目3−5
テンプレートを表示

常盤松御用邸(ときわまつごようてい)は、東京都渋谷区に所在する皇室財産

当地および隣接地はもと大和柳本藩越後村上藩下屋敷で、1855年嘉永7年)から1万8000坪の薩摩藩下屋敷となった。島津斉彬養女・篤姫1856年安政3年)11月、第13代将軍・徳川家定正室となるため当地から江戸城大奥に入る。明治維新後は黒田清隆が所有。1882年(明治15年)、宮内省が黒田家から買い上げ、主馬寮の「御料乳牛場」として使用し、乳牛を放牧する。御料乳牛場はのちに「渋谷第三御料地」となり、1924年(大正13年)、うち4000坪を東伏見宮家が拝借して、1925年(大正14年)10月、高橋貞太郎の設計による鉄筋コンクリート2階建の洋館が建設され、東伏見宮妃周子の邸となった。

渋谷第三御料地には東伏見宮邸の西側隣接地に、久邇宮妃俔子の住まいである久邇宮別邸、朝鮮王公族李鍵公邸、李鍝公邸、北白川宮能久親王第4王子の小松輝久侯爵邸、同第6王子の上野正雄伯爵邸も設けられた。

大正14年竣工の東伏見宮邸正面図および側面図(宮内庁管理部蔵)

戦災に焼け残った東伏見宮邸は1946年(昭和21年)、同宮家より宮内省へ返還され、皇族の共用殿邸「常盤松御用邸(常盤松御殿)」となった。秩父宮妃勢津子は住まいとしていた御殿場別邸から、儀式や公務で上京すると当邸を宿舎とした。

1950年(昭和25年)2月、都下小金井の東宮仮御所が前年焼損したことから、皇太子明仁親王の東宮仮御所となる。明仁親王は1959年(昭和34年)4月に結婚した美智子妃と、翌1960年(昭和35年)6月まで当邸で新婚生活を送った。1963年(昭和38年)9月からは昭和天皇第二皇子・義宮正仁親王の邸となり、翌1964年(昭和39年)9月、結婚により常陸宮家を創設した正仁親王と華子妃は現在まで、当邸を住まいとしている。

1975年(昭和50年)4月、東伏見宮邸、東宮仮御所として使用された高橋貞太郎設計の洋館が解体され、跡地に1976年(昭和49年)11月、村野藤吾の設計による現在の宮邸が竣工した。その際、大正以来の正門を敷地北面から南面の駒沢通り沿いに移している。敷地北面には1925年当時のスクラッチタイル貼りの塀が残る。名称は旧常磐松町による。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「常盤松御用邸」の関連用語

常盤松御用邸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



常盤松御用邸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの常盤松御用邸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS