三笠宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/01 11:56 UTC 版)
三笠宮家 | |
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家祖 | 三笠宮崇仁親王 (大正天皇第4皇男子) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 | 東京都 |
著名な人物 | 三笠宮崇仁親王 崇仁親王妃百合子 寬仁親王(第1男子) 甯子内親王(第1女子) 宜仁親王(第2男子) 容子内親王(第2女子) 憲仁親王(第3男子) |
支流、分家 | 桂宮 高円宮 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
皇室 |
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概要
1935年(昭和10年)12月2日、大正天皇の第四皇子である崇仁親王を初代として、成年式当日に創設された。宮号の由来は、阿倍仲麻呂の和歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」に出てくる奈良の三笠山にちなんだ。
崇仁親王の薨去後は妃の百合子が当主を務めた。2024年(令和6年)11月の百合子の薨去に伴い当主が不在になっていたが、2025年(令和7年)9月30日、孫の彬子女王が継承することが決まった。彬子女王の母親の寬仁親王妃信子は「三笠宮寬仁親王妃家」の当主として独立する[1]。
寬仁親王に男子が生まれなかったことから、断絶見込み。
構成員
現構成員
名 | 性別 | 生年月日 | 続柄 | 概要 |
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女性 | 1981年12月20日 | 寬仁親王第一女子 | 3代目三笠宮家当主。2013年寛仁親王家から合流 |
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女性 | 1983年10月25日 | 寬仁親王第二女子 | 2013年寛仁親王家から合流 |
過去の構成員
名 | 性別 | 生年月日 | 離脱年 | 理由 | 続柄 | 備考 |
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三笠宮
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男性 | 1915年12月2日 | 2016年 | 薨去 | 大正天皇第四皇男子 | 初代三笠宮家当主。 |
崇仁親王妃
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女性 | 1923年6月4日 | 2024年 | 薨去 | 三笠宮崇仁親王妃 | 2代目三笠宮家当主。 |
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女性 | 1944年4月26日 | 1966年 | 婚姻により皇籍離脱 | 崇仁親王第一女子 | |
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男性 | 1946年1月5日 | 1980年 | 寛仁親王家として独立 | 崇仁親王第一男子 | 2012年薨去 |
寬仁親王妃
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女性 | 1955年4月9日 | 2025年 | 三笠宮寛仁親王妃家として独立 | 寬仁親王妃 | 2013年寛仁親王家から合流。 |
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男性 | 1948年2月11日 | 1988年 | 桂宮創設 | 崇仁親王第二男子 | 2014年薨去 |
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女性 | 1951年10月23日 | 1983年 | 婚姻により皇籍離脱 | 崇仁親王第二女子 | |
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男性 | 1954年12月29日 | 1984年 | 高円宮家創設 | 崇仁親王第三男子 | 2002年薨去 |
系図
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123代天皇 大正天皇 |
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124代天皇 昭和天皇 |
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初代三笠宮 崇仁親王 |
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2代三笠宮 百合子妃 |
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甯子内親王 |
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寛仁親王 |
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信子妃 〔寛仁親王妃家〕 |
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宜仁親王 〔桂宮家〕 |
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容子内親王 |
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憲仁親王 〔高円宮家〕 |
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3代三笠宮 彬子女王 |
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瑶子女王 |
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備考
- 寬仁親王家
三笠宮の長男で、継嗣であった寬仁親王は1980年(昭和55年)11月7日、婚姻を機に生計を独自に営むことになり、新たに「寛仁親王家」を立てた(三笠宮を継承予定であったため、宮号創設はなし)。しかし2012年(平成24年)6月6日、寛仁親王は後継者たる男子不在のまま、父の崇仁親王に先立ち薨去。寛仁親王家の当主は不在のままであったが、翌2013年(平成25年)6月10日、寬仁親王の薨去時にさかのぼって寬仁親王家が廃されたものとして扱い、同家の成員については職員や皇族費はそのままで三笠宮家に合流することが宮内庁から発表された。同年7月31日には、当主のいなくなった寬仁親王邸を「三笠宮東邸」に改めることになった。
- 寬仁親王妃家
2024年(令和6年)11月に崇仁親王妃百合子が薨去したため三笠宮家は当主不在となっていたが、2025年(令和7年)9月30日より彬子女王を新たな当主として三笠宮家が存続されることとなった。これを機に、三笠宮家の構成員であった寛仁親王妃信子は三笠宮家を離れ、「三笠宮寛仁親王妃家」として独立の生計を営むことになった。
名 | 性別 | 生年月日 | 続柄 | 備考 |
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寬仁親王妃
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女性 | 1955年4月9日 | 寬仁親王妃 | 2025年に三笠宮寛仁親王妃家として三笠宮家から独立。 |
脚注
- ^ “不在だった三笠宮家当主に彬子さま…信子さまは「寛仁親王妃家」として独立、35年ぶりの宮家新設”. 読売新聞 (2025年9月30日). 2025年9月30日閲覧。
関連項目
外部リンク
三笠宮と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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