皇族議員として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:07 UTC 版)
1935年(昭和10年)12月1日に満20歳に達し、男子の皇族である為、貴族院令の規定により自動的に貴族院の皇族議員となる。皇族議員である為、普通選挙を経ずに議員となった。上記の通り軍人としても活動しており、軍人の政治的関与を好ましくないとする慣例や、皇族議員はほとんど貴族院に出席しないことから、実際の議員としての活動はほぼ見られない。1946年(昭和21年)5月23日、貴族院皇族議員を辞職した。 1946年(昭和21年)10月29日、枢密院本会議において、日本国憲法制定の採決が行われた際、「GHQによるマッカーサー憲法であり、日本人の手によるものではない」として、採決を棄権した。一方で、日本国憲法第9条の非武装中立については支持した。 また、所在が明確かつ存命であった最後の貴族院議員経験者であった。
※この「皇族議員として」の解説は、「三笠宮崇仁親王」の解説の一部です。
「皇族議員として」を含む「三笠宮崇仁親王」の記事については、「三笠宮崇仁親王」の概要を参照ください。
- 皇族議員としてのページへのリンク