三笠宮崇仁親王とは? わかりやすく解説

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三笠宮崇仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 07:14 UTC 版)

三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年大正4年〉12月2日 - 2016年平成28年〉10月27日)は、日本皇族陸軍軍人歴史学者古代オリエント史)。三笠宮家初代当主。御称号澄宮(すみのみや)[2]お印若杉(わかすぎ)。身位親王敬称殿下[3]勲等大勲位。最終階級は陸軍少佐


注釈

  1. ^ 臣籍降下後に100歳を迎えた元皇族(例:東久邇稔彦東伏見慈洽)を除く。
  2. ^ 棄権者は三笠宮崇仁親王を含めて2名で、もう一人は大日本帝国憲法を支持する立場から日本国憲法の制定に反対していた美濃部達吉
  3. ^ 国立国会図書館デジタルコレクションにて「澄宮殿下」で検索すると確認できる。
  4. ^ 日本オリエント学会編で、『オリエント学論集 三笠宮殿下還暦記念』(講談社、1975年)と『オリエント学論集 三笠宮殿下古稀記念』(小学館、1985年)が、大著で『三笠宮殿下米壽記念論集』(刀水書房、2004年)が刊行されている。
  5. ^ 非売品で、作家陳舜臣と『歴史清談 古代オリエント/中国日本東北』(河北新報社、1987年)がある。
  6. ^ 小川哲雄『日中戦争秘話』、原書房。小川は当時陸軍将校、のち汪兆銘政権で軍事顧問兼経済顧問補佐官。同書は陳公博の亡命に付き添った際の回想録。

出典

  1. ^ 宮内庁 三笠宮家
  2. ^ 皇室略牒 宮内省図書寮
  3. ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
  4. ^ 『歴史読本 特集皇族と宮家』2014年8月号、中経出版、2014年6月24日、109頁上段。 
  5. ^ 三笠宮崇仁『古代オリエント史と私』学生社、1984年、33-37頁。ISBN 4-311-20131-1NCID BN01436120 
  6. ^ 『歴史読本 特集皇族と宮家』2014年8月号、中経出版、2014年6月24日、109頁中段。 
  7. ^ 貴族院 議員辞職」『官報』第5822号、1946年6月13日、82頁。 
  8. ^ 『歴史読本 特集皇族と宮家』2014年8月号、中経出版、2014年6月24日、109頁中段〜下段。 
  9. ^ 小田部雄次『皇族 天皇家の近現代史』中央公論新社〈中公新書〉、2009年、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-12-102011-6 
  10. ^ “三笠宮さまがご退院 心臓手術受け2カ月半入院”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2012年8月31日). オリジナルの2012年8月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120831163927/http://sankei.jp.msn.com/life/news/120831/imp12083115260001-n1.htm 
  11. ^ “桂宮さま逝去:斂葬の儀 皇太子ご夫妻はじめ560人参列”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2014年6月17日). オリジナルの2014年8月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140808053958/http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140617k0000e040224000c.html 2014年8月16日閲覧。 
  12. ^ a b “三笠宮さま100歳 確かな記録では皇族初”. 産経ニュース (産経新聞社). (2015年12月2日). https://www.sankei.com/article/20151202-ONYUKAMSWBN55J2JCPHEOBLDII/ 2015年12月2日閲覧。 
  13. ^ 2016年(平成28年)10月28日宮内庁告示第11号「崇仁親王殿下が薨去された件」
  14. ^ “三笠宮さま ご逝去 昭和天皇の弟で100歳”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2016年10月27日). オリジナルの2016年10月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161027000832/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161027/k10010746021000.html 2016年10月27日閲覧。 
  15. ^ “三笠宮さま逝去=昭和天皇末弟、100歳-歴史学者として活躍”. 時事ドットコム (時事通信社). (2016年10月27日). オリジナルの2016年10月27日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20161027173853/http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102700154&g=obt 2016年10月27日閲覧。 
  16. ^ a b “三笠宮さま薨去される 天皇陛下の叔父、100歳”. 産経ニュース (産経新聞社). (2016年10月27日). http://www.sankei.com/life/news/161027/lif1610270007-n1.html 2016年10月27日閲覧。 
  17. ^ a b 2016年(平成28年)10月31日宮内庁告示第12号「故崇仁親王の喪儀を行わせられる期日、場所及び墓所を定められた件」
  18. ^ “平和願った宮さまにお別れ 参列者ら生涯しのぶ”. 日本経済新聞 電子版 (日本経済新聞社). (2016年11月4日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H4S_U6A101C1CC0000/ 2016年11月30日閲覧。 
  19. ^ “三笠宮さま、本葬は来月4日=喪主は妃の百合子さま-宮内庁”. 時事ドットコム (時事通信社). (2016年10月27日). オリジナルの2016年10月27日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20161027145840/http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102700966&g=soc 2016年10月27日閲覧。 
  20. ^ “三笠宮さま、墓所に埋葬=愛用の品々と一緒に”. 時事ドットコム (時事通信社). (2016年11月4日). オリジナルの2016年11月4日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20161104141241/http://www.jiji.com/jc/article?k=2016110400746&g=soc 2016年11月4日閲覧。 
  21. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、44頁。
  22. ^ 『官報』第5822号、昭和21年6月13日。
  23. ^ a b “戦後皇室の歩み体現 三笠宮さまをしのぶ 皇室担当特別嘱託・岩井克己”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. [要ページ番号]. (2016年10月28日) 
  24. ^ 三笠宮ご夫妻が句集『夕虹』を刊行 指導の鷹羽さん「余情に富む」、毎日新聞、2012年07月24日東京版夕刊。
  25. ^ 工藤美代子『母宮貞明皇后とその時代 三笠宮両殿下が語る思い出』中央公論新社、2010年7月23日、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-12-205343-4 
  26. ^ a b 三笠宮崇仁『古代オリエント史と私』学生社、1984年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-311-20131-1NCID BN01436120 
  27. ^ a b 三笠宮崇仁『帝王と墓と民衆 オリエントのあけぼの(付・わが思い出の記)』光文社〈カッパブックス〉、1956年、[要ページ番号]頁。ASIN B000JB1AIGNCID BN06271695 
  28. ^ 騎兵第15連隊[信頼性要検証]
  29. ^ "写真特集 三笠宮さま"毎日新聞(2016年10月27日)
  30. ^ "三笠宮崇仁さま"時事通信社
  31. ^ 河原敏明『天皇家の50年 激動の昭和皇族史』講談社、1975年、170頁。ASIN B000J9FL1KNCID BA41659355 
  32. ^ a b 河原敏明『天皇家の50年 激動の昭和皇族史』講談社、1975年、170-171頁。ASIN B000J9FL1KNCID BA41659355 
  33. ^ “日中戦争-三笠宮さまが謝罪の意”. 東京新聞 朝刊 (中日新聞東京本社): 12版3頁. (2006年8月10日) 
  34. ^ 『エロスを介して眺めた天皇は夢まぼろしの華である』玉川信明、社会評論社、1990、p95-106 河原敏明「三笠宮は双子だった」
  35. ^ “"三笠宮さまは双子"説騒ぎ 宮内庁、5年後の否定”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. [要ページ番号]. (1984年1月20日) 
  36. ^ 原, 武史 (2015). 皇后考. 講談社. p. 227 
  37. ^ 山階会『山階宮三代 下』精興社、1982年、291頁。 NCID BN01627388 
  38. ^ a b 皇室典範(昭和二十二年法律第三号)「第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。」
  39. ^ 叙任及辞令」『官報』第849号、1929年10月28日、672頁。 
  40. ^ 叙任及辞令」『官報』第2927号、1936年10月2日、50頁。 
  41. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。


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