華頂宮博厚親王
華頂宮博厚親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 16:39 UTC 版)
詳細は「華頂宮博厚親王」を参照 第2代博厚親王は、明治8年(1875年)誕生。当初の身位は「王」であった。明治元年制定の皇族の範囲を定めた皇族賜姓の成規によれば本来、華頂宮は皇族としては博経親王一代限りで臣籍降下するはずであったが、父・博経親王の皇族としての働きや、博厚王が当時わずか6歳で臣籍降下されることの悲観もあり、他の皇族たちによる存続嘆願もあり、明治天皇の特旨をもって皇族の身分に留まることとなり、さらに明治天皇の猶子として親王宣下を受けた。しかし博厚親王は短命であり、明治16年(1883年)に8歳で薨去した。
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