華頂侯爵家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 16:39 UTC 版)
詳細は「華頂博信」を参照 伏見宮博恭王三男(華頂宮博忠王弟)の伏見宮博信王が、大正15年(1926年)12月7日に20歳で海軍少尉の時に臣籍降下し、華頂侯爵家を創設し、同時に華頂宮家の祭祀を承継した。なお、王が「華頂宮5代目」とならなかったのは、皇室典範とその準則により、宮家を皇族としてそのまま継承することが禁じられていたことによるものである。王は、伏見宮家からの初の臣籍降下となることから、慣例により侯爵を賜った。なお、鎌倉市にある華頂侯爵の旧邸は、1996年に鎌倉市が取得し、旧華頂宮邸として庭園部分が一般に公開されている。
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