華頂宮の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:04 UTC 版)
ところが明治9年(1876年)に愛賢王の伯父にあたる華頂宮博経親王が26歳で薨去、博経親王の子博厚が皇族に列し、華頂宮家を継承した。 しかし、その博厚も明治16年(1883年)に8歳で薨去。明治天皇の特旨をもって華頂宮の存続を決定し、まず博厚王 を猶子・親王宣下により博厚親王とした上で、華頂宮自体の継承に関しては、本家に当たる伏見宮から王子を充当し宮家を立てることとし、行先の決まっていなかった愛賢王が華頂宮を継承、同時に名を博恭と改めた。
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