華頂宮博経親王とは? わかりやすく解説

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華頂宮博経親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/20 22:33 UTC 版)

華頂宮博経親王
華頂宮
華頂宮博経親王
続柄

身位 親王
敬称 殿下
出生 1851年4月19日
死去 (1876-05-24) 1876年5月24日(25歳没)
埋葬 豊島岡墓地
配偶者 博経親王妃郁子
子女 華頂宮博厚親王
父親 伏見宮邦家親王
母親 堀内信子
役職 弾正尹
議定
会計事務総督
海軍少将
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華頂宮博経親王(かちょうのみや ひろつねしんのう、嘉永4年3月18日1851年4月19日) - 明治9年(1876年5月24日は、日本の皇族海軍軍人。官位は議定会計事務総督、海軍少将徳川家茂猶子伏見宮邦家親王第12王子、母は堀内信子。宮家華頂宮創設者。

経歴

幼少時の称号は隆宮。嘉永5年(1852年)に出家。知恩院門跡となり、知恩院を相続。尊秀と号する。万延元年(1860年)に孝明天皇猶子となり、同日に徳川家茂の猶子となる。万延2年(1861年)に博経の名を賜り、その翌日に親王宣下を受ける。翌月に落飾し、知恩院門跡・尊秀入道親王となる。

慶応4年(1868年)、勅命により復飾し博経親王に復名。翌月に宮家を創設し、宮号を華頂宮とした。宮号は、知恩院の山号「華頂山」にちなんでいる。その後は、和学校御用掛・弾正尹議定・会計事務総督を歴任。

1870年(明治3年)よりブルックリンに留学。1872年(明治5年)から東隆彦の名でアナポリス海軍兵学校に入学し、海軍について学んだ[1]練習艦での訓練中の負傷後に肺病を患い、翌1873年に病気帰国。

帰国後に南部郁子と結婚し、1875年(明治8年)に第一王子の博厚王が誕生。同年、勲一等旭日大綬章に叙せられ、翌1876年(明治9年)に海軍少将となるも、同年5月24日に薨去。25歳没。

経歴

嘉永4年(1851年)3月18日 誕生
嘉永5年(1852年)10月12日 知恩院相続
万延元年(1860年)8月27日 孝明天皇猶子
万延元年(1860年) 徳川家茂猶子
万延元年(1860年)11月29日 親王宣下・名を博経とする
万延元年(1860年)12月29日 落飾・知恩院門跡・法名尊秀入道親王
慶応4年(1868年)1月7日 復飾・復名博経親王
慶応4年(1868年)1月10日 華頂宮家創設
明治元年(1868年)9月18日 元服
明治3年(1870年)6月 アメリカ留学
明治5年(1872年)8月 病気帰国
明治9年(1876年)5月13日 任海軍少将
明治9年(1876年)5月24日 薨去

血縁

博経親王は南部利剛の長女・郁子を妃とし、一男(博厚親王)を儲けた。

脚注

外部リンク


華頂宮博経親王

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華頂宮」の記事における「華頂宮博経親王」の解説

詳細は「華頂宮博経親王」を参照 博経親王は、嘉永4年1851年)に誕生孝明天皇猶子となり親王宣下知恩院入寺して落飾し、尊秀入道親王称した明治維新還俗して知恩院のある山および山号華頂山にちなん華頂宮宮号賜り一家創設した議定任命された事を初めとし、和学御用掛、弾正尹歴任するその後海軍軍人の道を進路選び明治3年1870年)にアメリカ合衆国アナポリス海軍兵学校海軍アカデミー)に留学した明治6年1873年)に帰国明治9年1876年海軍少将任命されるが、26歳若さ薨去した。

※この「華頂宮博経親王」の解説は、「華頂宮」の解説の一部です。
「華頂宮博経親王」を含む「華頂宮」の記事については、「華頂宮」の概要を参照ください。

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