博経親王妃郁子
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博経親王妃 郁子(ひろつねしんのうひ いくこ、嘉永6年8月5日(1853年9月7日)[1] - 1908年〈明治41年〉11月14日)は、江戸時代末期の武家女性、明治時代の皇族。
注釈
- ^ 博忠王も1924年(大正13年)に22歳で早世し、華頂宮家は断絶した。
出典
- ^ 『平成新修旧華族家系大成 上巻』(霞会館、1996年)p.29
- ^ 明治37年宮内庁告示第6号(『官報』第6160号、明治37年1月16日)(NDLJP:2949471/3)
- ^ 明治37年宮内庁告示第5号(『官報』第6160号、明治37年1月16日)(NDLJP:2949471/3)
- ^ a b 『官報』号外「宮廷録事」、明治41年11月14日(NDLJP:2950965/14)
- ^ 大正15年宮内省告示第12号(『官報』号外、明治41年11月14日)(NDLJP:2950965/14)
- ^ 『官報』第7619号「宮廷録事」、明治41年11月17日(NDLJP:2950967/8)
- ^ 『官報』第1605号、明治21年11月02日(NDLJP:2944843/2)
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