皇族として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:09 UTC 版)
高円宮家とは、家族ぐるみで親しく交際していた。高円宮憲仁親王は自身とも年齢が近く、徳仁親王にとっては兄のような存在で、結婚後も二人の心の支えとなった。夫妻は結婚当日、赤坂御用地で家族揃って成婚祝賀パレードを終えた二人を迎えた。憲仁親王は「皇太子夫妻の待望の第1子であった愛子内親王の誕生をことのほか喜び、出産時の見舞いに先に妃たちだけが行くことになったのを非常に悔しがった」という。皇太子夫妻が憲仁親王と最後に会えたのは、憲仁親王が薨去する1週間前に愛子内親王を連れて高円宮邸を訪問した時だった。 2006年(平成18年)9月6日、秋篠宮妃紀子が愛育病院で、(今上天皇にとっての甥である)第3子の悠仁親王を出産した際は、弟の秋篠宮からの電話連絡を受け、「ご無事のご出産おめでとう。妃殿下の手術が無事に終わることを祈っています。両殿下も親王殿下もお身体をお大切に」と祝意を述べた。北海道で公務中だった両親の天皇皇后の還幸(同月9日)と見舞い(同月10日)の後、自らは11日に妃雅子と愛子内親王を伴って一家で見舞いに訪れた。 徳仁親王は2007年(平成19年)の誕生日会見で、「(愛子内親王が、)(自身の祖父母にあたる)両陛下とお会いする機会を作っていきたい」と表明したが、翌2008年(平成20年)2月13日の定例会見で羽毛田信吾宮内庁長官(当時)に「天皇皇后両陛下への参内(訪問)の回数が増えていないこと」を指摘された。その直後の誕生日会見では羽毛田長官の発言に対し、「参内を心がけたい」として、「それ以上の内容は“プライベートな事柄”」として発言を控えた。
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