長老皇族として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:04 UTC 版)
伏見宮家家長として、傍系の宮家にも気をかけた。久邇宮邦彦王が、その第一王子である久邇宮朝融王と酒井菊子との婚約を私事により一方的に解消させた事件があった。これ以前に、邦彦王の第一王女である良子女王(香淳皇后)と皇太子裕仁親王(昭和天皇)との婚姻に関し、周囲の反対を押し切ってそれを成立させただけに(宮中某重大事件)、逆の立場に陥った久邇宮家への風当たりは強かった。 その中で博恭王は自身の娘知子女王を、朝融王の性質を言い含めた上で久邇宮家へ嫁がせ、皇室内の空気の引き締めに一役買ったと言える。しかしその直後、朝融王は妃を裏切る形で侍女を懐妊させ、博恭王は久邇宮父子の度重なる不貞に強く心を痛めたという。
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