常陸小川台合戦の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 01:18 UTC 版)
この戦で、佐竹義重が動員した勢力は関東での味方勢力すべてであった。それが「一統」して氏政に対抗してきた。謙信の影響力が無くなりつつあったなかで佐竹家らは互いに密接な連携を構築することによって、北条家の対抗勢力と変貌し、氏政の関東全域領国化にあたっての対抗勢力となっていくことになる。 6月中旬に義重・結城晴朝・宇都宮広綱・那須資胤らは起請文を交換し、佐竹氏を盟主とした軍事同盟を成立させた。この同盟は以後、東方之衆と呼ばれることになる。 また、北条氏政本隊を拘束したことで越後出兵を実施していた武田勝頼と氏政との関係に亀裂を生じさせ、最終的には甲相同盟の決裂に追い込む結果をもたらした。北関東における一局地戦が、結果的に東国戦国史を大きく展開させる事態を生んだのである。
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