桂文紅 (4代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/14 13:21 UTC 版)
4代目
|
|
![]() |
|
本名 |
|
---|---|
別名 | 青井竿竹 |
生年月日 | 1932年4月19日 |
没年月日 | 2005年3月9日(72歳没) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 4代目桂文團治 |
名跡 | 1.桂文光 (1955年 - 1959年) 2.4代目桂文紅 (1959年 - 2005年) |
出囃子 | お兼晒し |
活動期間 | 1955年 - 2005年 |
活動内容 | 上方落語 新作落語 |
備考 | |
上方落語協会会員 (1957年 - 2005年) |
|
4代目 桂 文紅(かつら ぶんこう、1932年4月19日 - 2005年3月9日)は、上方落語の落語家(上方噺家)。出囃子は『お兼晒し』。本名:奥村 須賀男[1]、もしくは奥村 寿賀男[2][3]。
来歴
立命館大学に通いながら電線会社に勤務していた時に、組合の文化祭で落語を演じ、後に素人コンクールで2位となった[2]。上方落語の世界初の大学卒業の噺家だった[2]。
1955年(昭和30年)3月、4代目桂文團治に入門[1]。桂文光を名乗る[1][2]。
1959年2月、4代目桂文紅を襲名[1]。1970年代前半に、3代目桂文我と二人会を催し、「文文コンビ」と称された[3]。
上方落語においては、「上方落語四天王」(6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂米朝、3代目桂春団治)とその弟子たちの中間の世代であった[4]。
50代からは尼崎市の「でやしき寄席」「きふね寄席」を中心に活動し、最後の高座は死去の年の1月28日、「でやしき寄席」での『胴取り』だった[3]。
2005年(平成17年)3月9日、死去[2]。これによって4代目文團治の直系は断絶した。
人物
持ちネタは『鬼あざみ』『島巡り』『浮世床』『初天神』『天神山』『堀川』『袈裟御前』など[3]。また、「青井竿竹」のペンネームで執筆活動もおこなった[3]。新作では『ぜんざい公社』をアレンジした一人に挙げられている[5]。
著書
- 4代目桂文我 編集『若き飢エーテルの悩み 桂文紅日記 清く、正しく…面白く』青蛙房、2009年12月、ISBN 4790502872
CD
脚注
- ^ a b c d 古今東西落語家事典 1989, p. 372, 現役落語家名鑑―上方.
- ^ a b c d e 「桂文紅」『新撰 芸能人物事典 明治~平成』日外アソシエーツ 。コトバンクより2025年8月3日閲覧。
- ^ a b c d e やまだりよこ 2010, p. 150.
- ^ 戸田学『上方落語の戦後史』岩波書店、2014年、p.187。
- ^ やまだりよこ 2010, pp. 174–175.
参考文献
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会 編『古今東西落語家事典』平凡社、1989年4月7日。ISBN 4-582-12612-X。
- やまだりよこ『上方落語家名鑑 第二版』出版文化社』2010年3月1日。 ISBN 978-4-88338-438-9。
関連項目
外部リンク
- 桂文紅_(4代目)のページへのリンク