松尾昭典とは? わかりやすく解説

松尾昭典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/05/07 15:09 UTC 版)

まつお あきのり
松尾昭典
生年月日 (1928-11-05) 1928年11月5日
没年月日 (2010-07-12) 2010年7月12日(81歳没)
出生地 大阪府大阪市東区(現・中央区伏見町
職業 映画監督
著名な家族 柴田侑宏(弟)
主な作品
網走番外地
男の紋章』シリーズ
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松尾 昭典(まつお あきのり、1928年11月5日 - 2010年7月12日)は、日本の映画監督

略歴

大阪府大阪市東区(現・中央区伏見町出身。3歳年下の弟は、宝塚歌劇団の演出家である柴田侑宏[1]

京都大学文学部に入学後[2]、映画部に所属する。同部員の同僚に映画監督となった土井茂太田昭和がいた[3]。大学を卒業後、松竹京都撮影所に入社[2]松田定次らに師事した[4]。その後、映画製作を再開した日活に移籍[4]。同期の蔵原惟繕神代辰巳も松尾と同じく日活へ後に移籍している[4]

川島雄三中平康蔵原惟繕の助監督を務め、1958年二谷英明主演の『未練の波止場』で監督デビューした[2][4]

日本映画の黄金時代に活躍し、石原裕次郎主演の『清水の暴れん坊』『男が命を賭ける時』、吉永小百合主演の『風と樹と空と』などや高橋英樹主演の『霧の夜の男』『男の紋章シリーズ』に代表される任侠映画も監督、また石原裕次郎主演の『紅の翼』をはじめ、脚本作品も何本か執筆していた。日活ムード・アクションの監督として高い評価を得ていた[4]

1970年には日活を離れてフリーとなり[4]、数多くの時代劇テレビ映画サスペンスドラマを演出した。2010年7月12日肺炎のために死去[5]81歳没

作品

映画

『私、違っているかしら』(1966年)

テレビドラマ

作詞

脚註

  1. 平和への思い 作品にひそかに込める 宝塚歌劇団脚本・演出家 柴田侑宏さん(83) ”. 産経新聞 (2015年8月18日). 2015年8月19日閲覧。
  2. 1 2 3 松尾昭典”. 日本映画監督協会. 2019年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月18日閲覧。
  3. 「奥付」『映画手帖(京都大学映画部編、清水光監修、津村秀夫序)』創元社、1950年。
  4. 1 2 3 4 5 6 松尾昭典”. 映画DB. 2022年8月18日閲覧。
  5. 「男の紋章」シリーズ、松尾昭典監督が死去”. サンケイスポーツ (2010年7月20日). 2010年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月20日閲覧。

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