松竹京都撮影所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 08:06 UTC 版)
種類 | 事業場 |
---|---|
市場情報 | 消滅 |
略称 | 松竹京都 |
本社所在地 |
![]() 〒606-0802 京都府京都市左京区下鴨宮崎町 〒616-8152 京都府京都市右京区太秦堀ヶ内町12-9 |
設立 |
1923年 松竹下加茂撮影所 1926年 松竹京都撮影所 名称変更 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映画の製作 |
主要株主 | 松竹キネマ ⇒ 松竹 |
松竹京都撮影所(しょうちくきょうとさつえいじょ)は、かつて大正から昭和にかけて京都市に存在した松竹キネマあるいは松竹が直営した日本の映画スタジオである。時代劇を製作していた。1923年(大正12年) - 1952年(昭和27年)には左京区の下加茂(下鴨宮崎町)、1952年(昭和27年) - 1965年(昭和40年)までは右京区の太秦(太秦堀ヶ内町)にあった[1]。
2008年(平成20年)、京都映画を源流とする企業「松竹京都映画株式会社」が「株式会社松竹京都撮影所」を新規に設立、太秦堀ヶ内町の同社の撮影所を「松竹京都撮影所」と改称した[1]。ここでは、松竹キネマ/松竹直営の「松竹京都撮影所」についてのみ述べる。
データ
- 下加茂
北緯35度02分15.78秒 東経135度46分9.44秒 / 北緯35.0377167度 東経135.7692889度
- 太秦堀ヶ内町
北緯35度00分47.48秒 東経135度42分1.44秒 / 北緯35.0131889度 東経135.7004000度
変遷
「松竹京都撮影所」という名の撮影所の変遷である[1]。
年号 | 名称 | 所在地 | 経営会社 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1923年 | (松竹下加茂撮影所) | 左京区下鴨宮崎町 | 松竹キネマ株式会社 | 開所 |
1925年 | - | 左京区下鴨宮崎町 | 松竹キネマ株式会社 | 蒲田へ引き上げ、閉鎖 |
1926年 | 松竹京都撮影所 | 左京区下鴨宮崎町 | 松竹キネマ株式会社 | 再開所して改称 |
1952年 | 松竹京都撮影所 | 太秦堀ヶ内町 | 松竹株式会社 | 旧松竹太秦撮影所へ移転、下加茂は譲渡 |
1965年 | - | 太秦堀ヶ内町 | 松竹株式会社 | 閉鎖 |
1975年 | (京都映画撮影所) | 太秦堀ヶ内町 | 京都映画株式会社 | 松竹子会社・京都映画が下加茂を閉鎖、移転 |
2008年 | (松竹京都撮影所) | 太秦堀ヶ内町 | 株式会社松竹京都撮影所 | 新規設立(実質改称) |
2011年 | (松竹京都撮影所) | 太秦堀ヶ内町 | 株式会社松竹撮影所 | 経営会社が社名変更、東京スタジオを新規設立(実質改称)、現行 |
下加茂
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災に東京の松竹蒲田撮影所が罹災したため、松竹下加茂撮影所として開設された[1]。同月、壊滅した蒲田から一時現代劇の撮影が移転してきた。1925年(大正14年)6月には、蒲田に引き上げ、閉鎖となる。
1926年(大正15年)1月、松竹京都撮影所と改称して再オープンした。1927年(昭和2年)、林長二郎(後の長谷川一夫)の『稚児の剱法』が爆発的ヒット。『雪之丞変化』、『残菊物語』など「下加茂カラー」と呼ばれる時代劇で一世を風靡した。
第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)、撮影所内のフィルム原版倉庫より火災が発生した。1952年(昭和27年)、京都映画(のちの松竹京都映画、現在の松竹京都撮影所)に松竹が出資して子会社化し[1]、下加茂の撮影所を同社に譲って「京都映画撮影所」となり、「松竹京都撮影所」は太秦堀ヶ内町に移転[1]、同地の「松竹太秦撮影所」を「松竹京都撮影所」と改称した[1]。
「京都映画撮影所」と改称した下加茂は、1975年(昭和50年)に閉鎖された[1]。
太秦堀ヶ内町
1935年(昭和10年)にマキノ正博が開所した「マキノトーキー製作所」に端を発する太秦堀ヶ内町の「松竹太秦撮影所」を[1]、1952年に「松竹京都撮影所」と改称、従来の下加茂から移転した[1]。
太秦に移転してからは大曽根辰保監督による『花の生涯』、渋谷実監督の『青銅の基督』、小林正樹監督の『切腹』などが撮影された。映画産業の斜陽化により、1965年(昭和40年)に閉鎖された[1]。
1974年(昭和49年)、太秦堀ヶ内町の撮影所は、下加茂の「京都映画撮影所」を閉鎖した京都映画に譲渡され、「京都映画撮影所」となる[1]。2008年(平成20年)に同所は、再度「松竹京都撮影所」と改称した。⇒ 松竹京都撮影所 (企業)
註
外部リンク
松竹京都撮影所
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特筆以外すべて製作は「松竹京都撮影所」、特筆以外すべて配給は「松竹」、すべて「高山裕子」名義である。 『江戸いろは祭り』 : 監督内出好吉, 1953年1月22日公開 - 多仲の妻・おいそ 『あばれ獅子』 : 監督大曾根辰夫, 1953年8月12日公開 - 岡野の奥様 『南国太平記 前篇』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映, 1954年1月15日公開 - 老女梅野 『続南国太平記 薩南の嵐』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映, 1954年2月3日公開 - 老女梅野 『若旦那武勇伝』 : 監督芦原正, 1954年5月5日公開 - 夫人 『鳴門秘帖 前篇』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映, 1954年5月10日公開 - 川長のお内儀 『此村大吉』 : 監督マキノ雅弘、製作大映京都撮影所、配給大映, 1954年9月1日公開 - 中臈、94分尺で現存(NFC所蔵) 『お坊主天狗 前篇』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映, 1954年9月21日公開 - 阪東染八 『お坊主天狗 後篇』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映, 1954年10月12日公開 - 阪東染八 『変化大名 前・後篇』 : 監督佐々木康、製作東映京都撮影所、配給東映, 1954年11月1日公開 - お楽の方 『獄門帳』 : 監督大曾根辰夫, 1955年6月21日公開 - おなか, 131分尺で現存(NFC所蔵) 『のんき侍大暴れ』 : 監督倉橋良介, 1956年7月13日公開 - おりく 『アチャコの子宝仁義』 : 監督萩山輝男, 1956年8月28日公開 - きぬ 『文七元結より 泣き笑い五十両』 : 監督倉橋良介, 1956年9月12日公開 - お駒 『紀州の暴れん坊』 : 監督酒井辰雄, 1956年10月24日公開 - その夫人 『酔いどれ牡丹 前篇・地獄の使者 後篇・深夜の美女』 : 監督荒井良平、製作京都映画, 1956年12月12日公開 - お梶の方 『歌う弥次喜多 黄金道中』 : 監督大曾根辰夫, 1957年1月3日公開 - 明斎の宿女将 『続二等兵物語 決戦体制の巻』 : 監督福田晴一、製作松竹大船撮影所, 1957年3月26日公開 - 常盤寮のおかみ 『伴淳・森繁の糞尿譚』 : 監督野村芳太郎, 1957年5月21日公開 - 彦太郎の母, 101分尺で現存(NFC所蔵) 『怪談色ざんげ 狂恋女師匠』 : 監督倉橋良介, 1957年7月30日公開 - お時 『伝七捕物帖 銀蛇呪文』 : 監督福田晴一, 1957年9月22日公開 - 乳母お菊 『喰いだおれ一代』 : 監督礒田一雄, 1957年12月28日公開 - 吉二郎の妻 『勇み肌千両男』 : 監督倉橋良介, 1958年2月26日公開 - おもん 『二等兵物語 死んだら神様の巻』 : 監督福田晴一, 1958年4月20日公開 - 良子 『夜の波紋』 : 監督内川清一郎, 1958年5月18日公開 - 竜 『女ざむらい只今参上』 : 監督渡辺邦男, 1958年6月29日公開 - 中山家老女 『大岡政談 謎の逢びき』 : 監督福田晴一, 1958年7月13日公開 - 乳母おまき 『昨日は昨日今日は今日』 : 監督福田晴一, 1958年8月17日公開 - 角鶴の女房 『水戸黄門漫遊記』 : 監督福田晴一, 1958年11月11日公開 - 楓の方 『七人若衆大いに売り出す』 : 監督倉橋良介, 1958年12月21日公開 - 織部の母お篠 『朝やけ雲の決闘』 : 監督萩原遼, 1959年1月22日公開 - 八重 『伝七捕物帖 女肌地獄』 : 監督酒井欣也, 1959年2月10日公開 - 長屋の老婆 『風のうちそと』 : 監督岩間鶴夫, 1959年3月24日公開 - 牧秀子 『伴淳の三等校長』 : 監督永塩良輔, 1959年6月2日公開 - 木村かね 『危険なラブレター』 : 監督的井邦雄, 1959年5月26日公開 - お絹 『水戸黄門漫遊記 御用御用物語』 : 監督福田晴一, 1959年7月7日公開 - おかね 『伝七捕物帖 幽霊飛脚』 : 監督酒井欣也, 1959年8月2日公開 - 羽黒屋とき 『姫夜叉行状記』 : 監督倉橋良介, 1959年8月23日公開 - お芳 『剣風次男侍』 : 監督野村企鋒, 1959年10月30日公開 - おりく 『お夏捕物帖 月夜に消えた女』 : 監督萩原遼, 1959年11月13日公開 - お松 『かくれた人気者』 : 監督酒井欣也, 1959年12月15日公開 - 常務の妻 『晴れ姿勢揃い 剣侠五人男』 : 監督渡辺邦男, 1959年12月27日公開 - 芸者屋の女将 『番頭はんと丁稚どん』 : 監督酒井欣也, 1960年5月20日公開 - 寿屋旅館の女将 『おさい・権三 燃ゆる恋草』 : 監督渡辺邦男, 1960年5月27日公開 - 浅香家女中お峯 『女の坂』 : 監督吉村公三郎, 1960年6月17日公開 - 京大和のおかみ, 107分尺で現存(NFC所蔵) 『お夏捕物帖 通り魔』 : 監督萩原遼, 1960年8月23日公開 - お杉 『中乗り新三 天竜鴉』 : 監督山田達雄, 1960年11月9日公開 - おくみ 『新・二等兵物語 めでたく凱旋の巻』 : 監督酒井欣也, 1961年1月15日公開 - 為子 『続こつまなんきん お香の巻』 : 監督酒井欣也, 1961年3月19日公開 - ミツ 『続々々番頭はんと丁稚どん チャンポン旅行』 : 監督的井邦雄, 1961年4月1日公開 - ばってん堂夫人 『大阪野郎』 : 監督大曾根辰夫, 1961年5月9日公開 - お杉 『秀才はんと鈍才どん』 : 監督的井邦雄, 1961年6月30日公開 - とし 『寛美の三等社員』 : 監督酒井欣也, 1961年9月9日公開 - 小林カネ 『海猫が飛んで』 : 監督酒井欣也, 1962年12月5日公開 - 羽柴ゆき 『月夜の渡り鳥』 : 監督市村泰一, 1963年12月24日公開 - おたみ 『いも侍・蟹右衛門』 : 監督松野宏軌, 1964年8月30日公開 - 百姓の女房 『いも侍・抜打ち御免』 : 監督松野宏軌, 1965年1月15日公開 - そばやのおかみ
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