松竹以降とは? わかりやすく解説

松竹以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 15:53 UTC 版)

路加奈子」の記事における「松竹以降」の解説

同年9月12日には、松竹大船撮影所製作した主演作『渚を駆ける女』(監督酒井欣也)が公開され高峰三枝子を母に、吉田輝雄川津祐介相手役高校三年生少女演じた同年12月26日公開された『忍法破り必殺』(監督梅津明治郎)は、松竹京都撮影所製作した時代劇映画で、主演ではないが、相手役竹脇無我であった松竹同年末に発行した『SHOCHIKU Calendar 1965』には、2月分に水科慶子清水まゆみとともに写っている。翌1965年昭和40年2月13日には『お座敷小唄』(監督酒井欣也)、同26日には『背後の人』(監督八木美津雄)がそれぞれ公開され同月にはシングルあべこべちぐはぐ』が発売されるが、同年内の以降劇場用映画についてもテレビ映画についても、出演記録みられない松竹同年末に発行した『'66 SHOCHIKU Calendar』には、11月分に小畠絹子とともに写っている。 1966年昭和41年4月には、湯浅浪男脚本書き若松孝二監督湯浅第七グループ若松プロダクション共同製作した成人映画医学カードより・お電話頂戴』に主演している。同年後半には、東映テレビプロダクションNET現在のテレビ朝日)が製作した連続テレビ映画鉄道公安36号』第172回『娘ごころ』、『特別機動捜査隊』第261回『私は泣かない』にゲスト出演しており、それぞれ同年9月28日同年10月26日放映されている。同年10月以降情報掲載されている『映画年鑑 1967』の人名録俳優には、路の名が掲載されなかった。 明けて1967年昭和42年2月23日には、満1年ぶりに松竹映画出演した雌が雄を喰い殺す かまきり』(監督井上梅次主演岡田茉莉子)が公開されている。同年5月20日公開された『決着』は、石井輝男監督梅宮辰夫主演した東映東京撮影所であるが、これにも路は出演している。同年9月2日公開された『夜のひとで』(監督長谷和夫主演三田佳子以降松竹作品への出演記録見当たらない同年10月以降情報掲載されている『映画年鑑 1968』の人名録俳優には、路の名が松竹所属として掲載されており、渋谷区富ヶ谷町の住所記載されていた。1968年昭和43年)には、ふたたび武智鉄二による成人映画戦後残酷物語』に主演しており、同作同年2月10日大映配給し公開された。同年にはローヤルレコード(代表・安田英治)に所属し同年11月シングル『夜の』を発表した1970年昭和45年)まではテレビ映画出演歌手活動行っていたが、以降引退し、『日本映画俳優全集女優編』が発行され1980年昭和55年前後には、東京都調布市内と港区赤坂バー経営していた。1983年昭和58年10月には、15年ぶりに出演した成人映画、『淫乱夫人』(監督秋津隆二、製作・配給ミリオンフィルム)が公開された。以降消息不明である。

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