松竹以降
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同年9月12日には、松竹大船撮影所が製作した主演作『渚を駆ける女』(監督酒井欣也)が公開され、高峰三枝子を母に、吉田輝雄・川津祐介を相手役に高校三年生の少女を演じた。同年12月26日に公開された『忍法破り必殺』(監督梅津明治郎)は、松竹京都撮影所が製作した時代劇映画で、主演ではないが、相手役は竹脇無我であった。松竹が同年末に発行した『SHOCHIKU Calendar 1965』には、2月分に水科慶子・清水まゆみとともに写っている。翌1965年(昭和40年)2月13日には『お座敷小唄』(監督酒井欣也)、同26日には『背後の人』(監督八木美津雄)がそれぞれ公開され、同月にはシングル『あべこべちぐはぐ』が発売されるが、同年内の以降の劇場用映画についてもテレビ映画についても、出演記録がみられない。松竹が同年末に発行した『'66 SHOCHIKU Calendar』には、11月分に小畠絹子とともに写っている。 1966年(昭和41年)4月には、湯浅浪男が脚本を書き若松孝二が監督、湯浅の第七グループと若松プロダクションが共同製作した成人映画『医学カードより・お電話頂戴』に主演している。同年後半には、東映テレビプロダクション・NET(現在のテレビ朝日)が製作した連続テレビ映画『鉄道公安36号』第172回『娘ごころ』、『特別機動捜査隊』第261回『私は泣かない』にゲスト出演しており、それぞれ同年9月28日、同年10月26日に放映されている。同年10月以降の情報が掲載されている『映画年鑑 1967』の人名録俳優欄には、路の名が掲載されなかった。 明けて1967年(昭和42年)2月23日には、満1年ぶりに松竹映画に出演した『雌が雄を喰い殺す かまきり』(監督井上梅次、主演岡田茉莉子)が公開されている。同年5月20日に公開された『決着』は、石井輝男が監督、梅宮辰夫が主演した東映東京撮影所であるが、これにも路は出演している。同年9月2日に公開された『夜のひとで』(監督長谷和夫、主演三田佳子)以降、松竹作品への出演記録は見当たらない。同年10月以降の情報が掲載されている『映画年鑑 1968』の人名録俳優欄には、路の名が松竹所属として掲載されており、渋谷区富ヶ谷町の住所が記載されていた。1968年(昭和43年)には、ふたたび武智鉄二による成人映画『戦後残酷物語』に主演しており、同作は同年2月10日に大映が配給して公開された。同年にはローヤルレコード(代表・安田英治)に所属し、同年11月、シングル『夜の虫』を発表した。 1970年(昭和45年)まではテレビ映画の出演や歌手活動を行っていたが、以降引退し、『日本映画俳優全集・女優編』が発行された1980年(昭和55年)前後には、東京都調布市内と港区赤坂でバーを経営していた。1983年(昭和58年)10月には、15年ぶりに出演した成人映画、『獣色淫乱夫人』(監督秋津隆二、製作・配給ミリオンフィルム)が公開された。以降の消息は不明である。
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