石井輝男とは? わかりやすく解説

いしい‐てるお〔いしゐてるを〕【石井輝男】


石井輝男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/01 00:10 UTC 版)

いしい てるお
石井 輝男
Teruo Ishii
本名 北川 輝男 (きたがわ てるお)
生年月日 (1924-01-01) 1924年1月1日
没年月日 (2005-08-12) 2005年8月12日(81歳没)
出生地 大日本帝国東京府東京市麹町区
(現東京都千代田区麹町
死没地 日本・東京都調布市
国籍 日本国
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画テレビ映画
活動期間 1942年 - 2005年
活動内容 1942年:東宝入社、撮影助手
1946年新東宝入社、演出部
1957年:監督昇進
1961年東映と専属契約
1966年:フリー
1979年テレビ映画に本格シフト
1991年:映画界に復帰
配偶者
主な作品
スーパージャイアンツ
女体棧橋
網走番外地』シリーズ
徳川女系図
温泉あんま芸者
徳川女刑罰史
江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間
現代任侠史
実録三億円事件 時効成立
『肉体女優殺し』
ゲンセンカン主人
受賞
ヨコハマ映画祭
特別大賞
1994年ゲンセンカン主人
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石井 輝男(いしい てるお、1924年大正13年〉1月1日 - 2005年平成17年〉8月12日)は、日本の映画の監督脚本家である。本名:北川 輝男(きたがわ てるお)。

東宝に撮影助手として入社。新東宝で『女体桟橋』[1]などの佳作を発表した後東映に移り、高倉健主演の『網走番外地シリーズ』が連続でヒット作となった。東映のヒットメーカーの一人であり、1968年昭和43年)より東映ポルノと呼ばれる一連の作品を発表した。また、松竹日活でも作品を発表している。1970年代までにポルノとアクション映画を量産した。ただ石井輝男はエロスだけの監督ではなく、前衛舞踏土方巽を登場させるなど、表現規制を打ち破ること、芸術志向と娯楽作品が同居した監督だった。1990年代つげ義春江戸川乱歩の世界へ傾倒した。

人物

  • 東映プロデューサーの天尾完次は「石井は同じ東宝出身の黒澤明の対極に位置する」と評している。
  • 東宝時代は撮影助手に従事していたが、東宝争議にともなう新東宝への移籍と同時に助監督になった。
  • 渡辺邦男成瀬巳喜男清水宏などの助監督に付く。また、田中絹代監督作品の助監督もした。娯楽映画を量産していた渡辺からは早撮りを習い、清水からは脚本を学んだものの、助監督時代は成瀬に大きな影響を受けており、成瀬調の作品の企画を会社に出していたが全て却下されたという。
  • 成瀬の助監督時代に、成瀬作品の産みの親である脚本家の水木洋子の作品の仕事を渇望していたが、実現しなかった。
  • 監督昇進後も高い技術、モダニズムを評価されヒットに恵まれながらも、完成度の高い映画作家とは逆の方向へ走り続け、映画賞などとはまったく無縁のアンチ巨匠として孤高の地位を築き上げた。インタビューでも「タッチの統一とか整合性は嫌い」と語っており、破綻なくウェルメイドに仕上げる技術は十分に持ち合わせながらも、あえて作品をアナーキーな映画にせずにいられない性格を吐露している。
  • 2005年8月12日午前9時43分、肺がんのため都内の病院で死去した。
  • 2006年平成18年)8月5日、網走市内の潮見墓園に墓碑が建てられ、遺骨が納められた。「安らかに 石井輝男」と記された墓碑の碑文は、高倉健によるものである[2]。また、石井の功績を讃え、博物館網走監獄の正門前に石碑“映画『網走番外地』撮影地の碑”が建てられ、同年8月6日に除幕式が行われた。
  • 2006年8月12日、矢口将樹監督によるドキュメンタリー『石井輝男 FAN CLUB』が公開された。
  • 2010年、ダーティ工藤監督によるドキュメンタリー『石井輝男映画魂』が公開された。
  • 2019年11月24日から2020年1月25日、『ラピュタ阿佐ヶ谷』にて数多くの傑作娯楽映画やカルト的名作をのこした鬼才・石井輝男監督を大フィーチャーし、38作品の上映が開催された[3]

来歴

東宝時代

  • 1942年(昭和17年)、東宝へ撮影助手として入社。
  • 1945年(昭和20年)、召集、陸軍浜松航空隊の写真班員として中国大陸へ配属。復員後、東宝に戻る。

新東宝時代

  • 1946年(昭和21年)、新東宝に参加。撮影部より演出部に移る。
  • 1947年(昭和22年)3月、渡辺邦男監督の助監督につき演出の仕事を始める。この後、清水宏成瀬巳喜男の助監督にもつく。
  • 1957年(昭和32年)、『リングの王者 栄光の世界』で監督デビュー。57年から60年にかけて『肉体女優殺し』『女体桟橋』『女体渦巻島』などの傑作を発表。初期から表現規制に抵抗する作風が見られた。『鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)』シリーズも監督、1作目から6作目までを担当。
  • 1960年(昭和35年)1月13日、『黒線地帯』公開。
  • 1960年(昭和35年)4月29日、『黄線地帯』公開。

東映時代

  • 1961年(昭和36年)、東映と専属契約を結ぶ。6月23日公開の『花と嵐とギャング』が東映(ニュー東映)での第1作。
  • 1965年(昭和40年)4月18日、『網走番外地』(高倉健主演)公開。連続してNo.1ヒットし、高倉とのコンビでシリーズ10作を世に送り出す。

フリー

復活

  • 1991年(平成3年)6月14日、『ザ・ヒットマン 血はバラの匂い』(東映Vシネマ)リリース。
  • 1993年(平成5年)7月24日、『ゲンセンカン主人』公開。
  • 1995年(平成7年)5月29日、『無頼平野』公開。これ以降、自ら立ち上げたプロダクションで16ミリによる『ねじ式』『地獄』を撮る。
  • 2001年(平成13年)、デジタルビデオによる『盲獣vs一寸法師』を完成させ、6月24日「第23回ぴあフィルムフェスティバル」で上映。本作が最後の監督作品となった。
  • 2004年(平成16年)3月13日、上映方式の問題などで難航していた『盲獣vs一寸法師』一般公開が実現。
  • 2005年(平成17年)8月12日午前9時43分、肺癌により没す。81歳没。

作品

網走番外地』(1965年)

映画

監督

※太字は脚本も兼務

脚本

  • 思い出月夜(1956年6月21日、富士映画)
  • 火線地帯(1961年5月24日、新東宝)
  • 黒い画集 ある遭難(1961年6月17日、東宝)
  • 海軍横須賀刑務所(1973年11月17日、東映)
  • 従軍慰安婦(1974年7月17日、東映)

連続ドラマ

単発ドラマ

  • 現行犯(1962年8月24日、テレビ映画ミステリーベスト21』の1篇、東映・NET)
  • 番町皿屋敷(1971年7月11日、テレビ映画『怪奇十三夜』の第2回、ユニオン映画・NTV)
  • おんな怨霊舟(1971年8月8日、テレビ映画『怪奇十三夜』の第6回、ユニオン映画・NTV)
  • 蝶たちは今…冥土からの手紙 死者からの電話(1979年7月14日、『土曜ワイド劇場』、テレビ朝日)
  • 御金蔵破り1981年6月12日、『時代劇スペシャル』、東映・フジテレビ) - 原作
  • 汚名の女 二重殺人方程式(1981年8月29日、『土曜ワイド劇場』、テレビ朝日)
  • 悪魔を見た家族 運命の糸にあやつられる妻(1981年9月19日、『土曜ワイド劇場』、テレビ朝日)
  • わが子よ、眠れ!(1981年11月10日、『火曜サスペンス劇場』、NTV)
  • 水の魔法陣 その日、ひとりの少女が病室から消えた(1982年9月7日、『火曜サスペンス劇場』、NTV)
  • 夜に消えた妻 蒸発か誘拐か(1983年2月12日、『土曜ワイド劇場』、テレビ朝日)
  • 愛しき妻よさらば(1983年4月19日、『火曜サスペンス劇場』、東通企画・NTV) - 脚本
  • 目には目を(1983年11月29日、『火曜サスペンス劇場』、東通企画・NTV)
  • 秘密の風景(1984年1月31日、『火曜サスペンス劇場』、俳優座映画放送・NTV)
  • 大豪邸に残された嫁姑 銀座うしの時参り殺人 屋根の上を走るネグリジェ女(1984年2月18日、『土曜ワイド劇場』、東通企画・ABC)
  • 電話魔 どこまでも追いかけてくるあの声・ママが殺される!(1984年5月8日、『火曜サスペンス劇場』、NTV)
  • 死者からの手紙(1985年9月3日、『火曜サスペンス劇場』、NTV)
  • 怖い贈り物(1986年7月14日、テレビ映画『現代怪奇サスペンス』シリーズ、関西テレビ
  • 蜘蛛(1986年8月11日、テレビ映画『現代怪奇サスペンス』シリーズ、関西テレビ)
  • さよならをいわないで(1987年9月28日、テレビ映画『女優競演サスペンス』シリーズ、関西テレビ)
  • 見えない絆(1988年8月12日、テレビ映画『男と女のミステリー』シリーズ、東通企画・フジテレビ) - 脚本

出演

  • BSマンガ夜話紅い花』(1997年5月28日 NHK BS2) - ゲスト出演。石井の撮った『ゲンセンカン主人』内の『紅い花』抜粋シーンも流れた。

脚注

  1. ^ 女体桟橋:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画”. MOVIE WALKER PRESS. 2025年2月13日閲覧。
  2. ^ 監獄秘話 第11話 番外地の生みの親”. 博物館網走監獄. 2023年6月25日閲覧。
  3. ^ 石井輝男キング・オブ・カルトの猛襲”. ラピュタ阿佐ヶ谷 (2019年11月24日). 2020年4月25日閲覧。
  4. ^ a b c “松竹『夜を狙え』の製作を発表 石井輝男監督・松竹第一回作品”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 6. (1966年1月29日) 
  5. ^ a b “フリーで気を吐く監督たち 一年で六本もこなす ー大モテの井上梅次や石井輝男ー "芸術派"も地道に健闘”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): pp. 8. (1966年2月21日) 
  6. ^ 「石井ハレンチ監督の意外な意気軒昂 助監督の造反にもゆるがぬ東映性愛路線」『週刊朝日』1969年5月2日号、朝日新聞社、152-154頁。 
  7. ^ 「東映助監督会がエロ・パージの声明 攻撃目標は石井監督作品」『週刊明星』1969年5月4日号 頁、集英社、146-147頁。 
  8. ^ a b 福永聖二 (2015年8月26日). “〔カルチャー〕 アクションとカルト 二つの顔…石井輝男”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). オリジナルの2015年8月20日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/m5Q5M 2015年5月20日閲覧。 
  9. ^ a b 「東映映画ー更なる暴走の季節 文・石井輝男」『シナリオ』1979年11月号、日本シナリオ作家協会、154-157頁。 
  10. ^ 桂千穂、掛札昌裕『エンタ・ムービー本当に面白い時代劇 1945-2015メディアックス、2015年、582-583頁。ISBN 978-4-86201-944-8 
  11. ^ 松島利行 (1992年4月22日). “〔用意、スタート〕 戦後映画史・外伝 風雲映画城/75 ピンク路線に参入”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): pp. 5 
  12. ^ 石井輝男「日本映画 この生きている10年史 '60の豚は'70の狼になるか 『作家不詳の日陰の歌を 〈番外地シリーズ40年} 群小ピンクを撃滅せよ〈刺戟路線43年 」『映画芸術』1969年10月 No266、映画芸術社、54頁。 
  13. ^ 岡田茂「〔随想〕やると思えばどこまでやるさ」『キネマ旬報』1969年1月下旬号、キネマ旬報社、16-17頁。 
  14. ^ 「『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』日本初DVD化&石井輝男の世界 共同脚本・掛札昌裕が語る異常性愛路線の作り方 文・高鳥都」『映画秘宝』2017年9月号、洋泉社、70-71頁。 
  15. ^ 奇想の天才再降臨! 鈴木則文ふたたび 掛札昌裕インタビュー 文・柳下毅一郎」『映画秘宝』2007年10月号、洋泉社、56-59頁。 
  16. ^ 日本大衆娯楽映画秘史~その3 男の映画を作り続けた東映の、任侠プロデューサーたち 文・ダーティ工藤」『悪趣味邦画劇場〈映画秘宝2〉』洋泉社、1995年、276-280頁。ISBN 978-4-89691-170-1 
  17. ^ 石井輝男 キング・オブ・カルトの猛襲/作品解説2 | ラピュタ阿佐ヶ谷
  18. ^ a b 「東映不良性感度映画の世界 岡田茂と石井輝男 文・杉作J太郎」『映画秘宝』2011年8月号、洋泉社、54頁。 
  19. ^ a b 杉作J太郎植地毅東映ピンキー・バイオレンスのゴッドファーザー 岡田茂&天尾完次を称えよ!!/大激突!! 石井輝男監督VS世間の非常識」『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』徳間書店、1999年、36-37,220-221頁。ISBN 4-19-861016-9 
  20. ^ 東映任俠映画を生み出した名監督・名プロデューサーたち - 隔週刊 東映任侠映画傑作DVDコレクション - DeAGOSTINI
  21. ^ 新文芸坐石井輝男 映画チラシ
  22. ^ “〔娯楽〕 現代の映画とセックス ますます大胆な追及 人間の深奥へ”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 9. (1970年3月7日) 

参考文献

  • 『石井輝男映画魂』(石井輝男・福間健二ワイズ出版 ISBN 4948735086
  • Schilling, Mark (2003). The Yakuza Movie Book: A Guide to Japanese Gangster Films. Berkeley, California: Stone Bridge Press. pp. 55–70. ISBN 1-880656-76-0 
  • Tominaga, Shinichi. (2000). "Geishas, Motorcycle Gangs and Supergiants: The World of Teruo Ishii—A spirited discussion between Teruo Ishii and cult director Takao Nakano." (Interview conducted in Tokyo, February 2000) in Asian Cult Cinema, #28, July 2000, p. 48–62.
  • Weisser, Thomas; Yuko Mihara Weisser (1998). Japanese Cinema Encyclopedia: The Sex Films. Miami: Vital Books : Asian Cult Cinema Publications. pp. 198–199. ISBN 1-889288-52-7 

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