新東宝時代とは? わかりやすく解説

新東宝時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 06:12 UTC 版)

石井輝男」の記事における「新東宝時代」の解説

1946年昭和21年)、新東宝参加撮影部より演出部に移る。 1947年昭和22年3月渡辺邦男監督助監督につき演出仕事始める。この後清水宏成瀬巳喜男助監督にもつく。 1957年昭和32年)、『リングの王者 栄光の世界』で監督デビュー57年から60年にかけて『肉体女優殺し』『女体桟橋』『女体渦巻島』などの傑作発表初期から表現規制抵抗する作風見られた。『鋼鉄の巨人スーパージャイアンツ)』シリーズ監督1作目から6作目までを担当1960年昭和35年1月13日、『黒線地帯公開1960年昭和35年4月29日、『黄線地帯公開

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新東宝時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 21:15 UTC 版)

高峰秀子」の記事における「新東宝時代」の解説

1946年昭和21年)、占領軍接収されアーニー・パイル劇場(元東京宝塚劇場)で、占領軍相手慰問公演出演するが、衣装がなくて困っていたところ、入江たか子手持ちコートをほどいて衣装仕立ててくれたという。同年佐伯清監督の『陽気な女』が戦後第1作となる。8月日本劇場の『ハワイの夜』に灰田と共演してフラダンス踊り大ヒットさせるが、東宝では10月第2次東宝争議発生スト反対する大河内傳次郎同調し長谷川一夫入江たか子山田五十鈴藤田進黒川弥太郎原節子山根寿子花井蘭子とともに十人の旗の会を結成して日本映画演劇労働組合(略称:日映演傘下東宝従業員組合脱退。翌1947年昭和22年3月に他の脱退者らと新東宝映画製作所発足し、秀子は同社専属となった新東宝での第1作は、萩原遼監督の『大江戸の鬼』で、続いて阿部豊監督の『愛よ星と共に』で16歳から35歳までの女の半生演じ次の千葉泰樹監督の『幸福への招待』でも薄幸の女を演じて、おとなの女優としてイメージ印象づけた。 この頃に「高峰秀子後援会」が発足し銀座カネボウビル内に事務所開設され機関誌DECO』が発行された。新東宝創立1周年経たぬうちに、十人の旗の会のメンバーである原節子山田五十鈴入江たか子らが次々と脱退。それにより秀子は新東宝女優陣の中心となり、1949年昭和24年公開『銀座カンカン娘』では主題歌歌い公開前に発売されレコード50万枚1957年時点)もの売上げ記録して大ヒットした。1950年昭和25年)には阿部監督の『細雪』で花井蘭子轟夕起子山根寿子に続く末娘役を演じ原作者谷崎潤一郎とは家族交えた形で、谷崎亡くなるまで交流続けた同年には小津監督の『宗方姉妹』に田中絹代の妹役で出演している。同年11月当時結婚想定して交際していた会社の重役後援会費を使い込み、他の女性交際していた事が発覚したことから新東宝退社した

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