東映時代とは? わかりやすく解説

東映時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 06:12 UTC 版)

石井輝男」の記事における「東映時代」の解説

1961年昭和36年)、東映専属契約を結ぶ。6月23日公開の『花と嵐とギャング』が東映ニュー東映)での第1作1965年昭和40年4月18日、『網走番外地』(高倉健主演公開連続してNo.1ヒットし高倉とのコンビシリーズ10作を世に送り出す

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東映時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:25 UTC 版)

江本孟紀」の記事における「東映時代」の解説

東映へは春季キャンプ開始後入団であったため江本直ちキャンプ地伊東向かい、翌16日チーム合流したキャンプ最初から参加していなかった江本調整の遅れを取り戻すため、土橋正幸投手コーチから主力打者三人相手フリーバッティング登板するよう命じられたが、調整不足と緊張から全くストライク入らず白仁天大杉勝男二人10連続ボール球を投げてしまい「ストライク入らんヤツが、プロピッチャーか!」と激怒された。しかし最後に打席立った張本勲は、ボールゾーンに外れた初球平然と打ち返すと、その後手の届く範囲に来たボール高低内外問わず自由自在に打ち返し、そのおかげで落ち着き取り戻した江本次第ストライクゾーンに球がいくようになった江本自著で「この年1971年)に入団した中では100人いたら(自分は)100番目の選手だ。ドラフト外として最後の最後プロ入りしたルーキー開幕一軍食い込むことが出来たのも、あのフリー打撃あったから。これは全て張本さんのおかげ。間違いなく大恩人の一人だ」と張本への感謝述べている。 自信回復した江本紅白戦通じて調子上げてキャンプ乗り切ると、3月からのオープン戦では一軍メンバー加わり公式戦でも開幕一軍スタート勝ち取ったプロ初登板は4月11日の対西鉄ライオンズ戦(平和台球場)だったが、連続四球安打浴び、2失点終わったこの年26試合未勝利(4敗)に終わると、同年オフ高橋博士との交換トレードで、佐野嘉幸と共に南海ホークスへの移籍決まり入団後僅か一年所属チームが変わることとなった。 この南海へのトレードについては、見る目の無い東映では江本は全く鳴かず飛ばずであったが、その潜在能力見出した監督野村克也がさも江本興味の無いようなそぶりをして獲得し一から江本育て上げたとされている。しかし江本はこの風説強く否定しており、自分土橋投手コーチから成長株として大い期待され秋季キャンプでも翌年から本格的に先発投手陣の一角加われるようにと土橋から課され猛練習こなしていて、東映土橋基礎力徹底的に鍛え上げてもらったおかげで投げられるピッチャー江本」に育っていたところを移籍先南海監督として居合わせた野村が「勝てピッチャー江本」にしたのである。と明言している。

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東映時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 05:01 UTC 版)

菅原文太」の記事における「東映時代」の解説

東映移籍はしたものの、ほとんどセリフ付かない役ばかりで、役を貰えないかと新東宝仲間である石川義寛監督下宿訪ねることもあったといい、東映京都撮影所作品怪猫呪いの沼』(1968年)での端役も、石川監督が気の毒がって起用したのだったという。翌1969年昭和44年)の『現代やくざ 与太者の掟』が、東映での初主役作となる。この『現代やくざ』シリーズ1972年昭和47年)まで続く作品群で、ヤクザ美化し従来任侠映画ではなく現実的なワル」を主人公したものであり、後の実録映画先駆けとなったまた、同年には『関東テキヤ一家シリーズ1971年昭和46年)からは『まむしの兄弟シリーズ主演1973年昭和48年)から始まった仁義なき戦いシリーズで、東映代表するスターのひとりになった映画史に残る作品にもなったこのシリーズヒット東映任侠路線から実録路線転換1974年昭和49年)末からスタートした新仁義なき戦いシリーズ1975年昭和50年)に始まる『トラック野郎シリーズ一番星・星桃次郎 役)もヒットした

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東映時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:32 UTC 版)

多羅尾伴内」の記事における「東映時代」の解説

永田言葉激怒した千恵蔵は、比佐芳武とともに金田一耕助シリーズで縁のある東横映画へ移籍した昭和26年1951年)に東京映画配給東横太泉映画吸収合併し、東映創立されると、千恵蔵取締役就任し市川右太衛門とともに重役トップスター”として会社牽引していくことになった以後千恵蔵には、経営者としての視点から映画作品をとらえる姿勢見られるほどなく占領時代終わり剣劇チャンバラ時代劇)が解禁されることになるが、「多羅尾伴内」や「金田一耕助」「にっぽんGメン」など千恵蔵比佐松田たちトリオ戦後開拓してきた大好評現代劇シリーズ東映引き続き活かされることになった昭和28年1953年)、多羅尾伴内シリーズ再開第1作片目魔王』が比佐脚本佐々木康監督千恵蔵主演により東映京都撮影所撮影され花柳小菊千原しのぶ原健策加賀邦男進藤英太郎ら東映時代劇初期常連俳優たちが出演した。もともと「多羅尾伴内」などの現代ミステリ映画剣劇禁止期間の代替作品であり、大映時代から京都撮影されてきた。しかし、重役となった千恵蔵は「京都撮影所時代劇東京撮影所現代劇」という役割分担考慮した考えられ再開2作目以降はすべて東映東京撮影所東京都練馬区東大泉)で撮影されることになった東京撮影所移ってからの出演者は、高倉健南原伸二波島進中原ひとみ江原真二郎佐久間良子安宅淳子中村雅子山本麟一潮健二といった東映東京新人俳優たちが多く出演東映作品での相棒大沢警部」は宇佐美淳也宇佐美諄)・山形勲など東映東京常連たちが交替演じている。敵役犯罪団のボス役は、名優進藤英太郎当たり役また、かつての黄金トリオ松田定次監督東映随一監督として活躍し伴内シリーズも何本か手がけている。東映時代の作品では、昭和30年1955年)の3作目『隼の魔王』(松田定次監督復帰作)が特に評価が高い。日本映画極盛期である昭和33年1958年)の東映6作目十三魔王』では、シリーズ初のカラー&大画面の「東映スコープ」となり、大女優の高峰三枝子ヒロイン国際的名優志村喬東宝)が端役悪党演じるという豪華キャストであった内容的には、大映時代試行錯誤時期変化富んでいたのと比べると、東映時代はより定型パターン化が進み、さらに娯楽色が強まった主人公自身描写も、大映時代陰影のある人間味出していたが、東映時代の後期になるにつれて完全無欠なヒーロー像が固定化ていった。それとともに同時期に製作されていた東映時代劇における千恵蔵十八番となった遠山の金さんシリーズとは互いに影響及ぼしあってゆく。遠山の金さん多羅尾伴内のごとく次々と変装をするかと思えば多羅尾伴内事件大団円において遠山奉行お白洲思わせるような一段高い所から悪人どもの罪を裁き金さん桜吹雪の刺青露わにするがごとくに多羅尾伴内変装かなぐり捨てて正体現わすという具合である。もともと伴内シリーズは、時代劇チャンバラ拳銃による銃撃戦置き換えたのであるから、両者同類のものと見ることもできるちなみに東映・金田一耕助シリーズの『三つ首塔』(昭和31年比佐脚本でも、千恵蔵演じ金田一耕助僧侶変装し大団円パッと変装かなぐり捨てて金田一正体現わしている。 クライマックス銃撃戦シーン大映時代シリーズ初期からしばしば批判の的になっていた。チャンバラで刀を振り回し続けるように拳銃ひたすら撃ち続け描写に対して途中で銃弾装填弾込め)の場面がないのは不自然だというものであった。そこでシリーズ後期では、できるだけ弾込め場面盛り込むように工夫された。『隼の魔王』では、銃撃戦最後に装填する銃弾尽きて主人公が「しまった」と洩らした直後警官隊到着して助かるという演出工夫見られた。また、敵の銃弾発射されてから主人公が身をかわすのが不自然だという批判もあったが、これはあえてリアルでない描写をすることによって映画面白さ引き出そうとする松田定次監督演出であった昭和35年1960年)、東映7作目七つの顔の男だぜ』をもって片岡千恵蔵主演多羅尾伴内シリーズ事実上終了したシリーズ終了理由不詳である。周辺状況としては、東映観客動員数1位の映画会社にのし上がって経営順調に軌道に乗り若手スター台頭してきていた。また、東映創立以来10年間、千恵蔵重役トップスターとして年間10本以上の作品出演してフル回転働き通し年齢的に体力的に限界近かった考えられる。これらにより、千恵蔵第一線主役から退く潮時であった思われること、「荒唐無稽」という酷評を受けながらも伴内シリーズ興行的に成功したが、既に人気ピーク過ぎたこと、などが挙げられる

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