東映時代劇の時代
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戦後は、終戦翌年の1946年(昭和21年)に帰国した。1950年(昭和25年)、稲垣浩に師事して助監督に転向する。この時代の稲垣は、世田谷区砧の東宝撮影所で時代劇を手がけた時代であり、『旅はそよ風』(1953年)の助監督に深田の名がみられる。1951年(昭和26年)6月18日に公開された『玄海灘の怒濤篇 阿修羅龍鬼隊』では、近藤勝彦と共同で演出を行い、初監督を経験する。東映京都撮影所と契約し、1955年(昭和30年)には『雄呂血の秘宝』で監督に昇進、同作は同年12月20日に公開された。1956年(昭和31年)8月には、『明星』(第5巻第11号、集英社)に『熱血小説 阿蘇の血闘』(挿画・堂昌一、1926年 - 2011年)を発表している。その後、わずか8年の期間に42本もの監督作を量産したが、1963年(昭和38年)10月29日に公開された『無法の宿場』を最後に東映を退社した。 高岡昌嗣の東伸テレビ映画が製作する連続テレビ映画『白馬の剣士』(第1期、主演山城新伍)等を監督したが、翌1965年(昭和40年)には、テレビ時代劇の世界から離れる。
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