東映実録犯罪映画
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日本映画は古くから実録犯罪に材を取ったエクスプロイテーション映画を製作してきた。1932年に帝都を震撼させた玉の井バラバラ殺人事件は、犯人逮捕直後に四社よる競作になったといわれる。東映は大手映画会社で最も積極的に実録犯罪映画に手を出した。東映の実録犯罪映画史は、東映東京撮影所と東映京都撮影所で異なる流れがあり、東京撮影所では「警視庁物語シリーズ」から派生した吉展ちゃん誘拐殺人事件を描いた『噫(ああ)!吉展ちゃん』(1965年)や『一万三千人の容疑者』(1966年、監督:関川秀雄)から始まるものと、岡田茂が京都撮影所長時代に始めた東映ポルノ路線の阿部定本人を引っ張り出したことでも知られる『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』(1969年、監督:石井輝男)を皮切りとしたものがある。1973年から低予算の「東映ニューポルノ」が始まると多くの実録犯罪映画が製作された。本作はその決定版といえる。 伊藤俊也は「猟奇犯罪史」というのは岡田社長から持ち出された企画と述べている。伊藤が1975年に鬼熊事件を題材に「ひとよんで鬼熊」というシナリオを深町秀煕と澤井信一郎の共同で書き、岡田社長に提出したが「これはウチでやる映画じゃない。ATGを紹介してやる」と言われ企画は通らず。その後モデル問題が色々起こり映画化されなかったという(シナリオのみ『キネマ旬報』1975年11月下旬号に掲載)。
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