東映ニューポルノとは? わかりやすく解説

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東映ニューポルノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:41 UTC 版)

東映ポルノ」の記事における「東映ニューポルノ」の解説

東映ポルノ路線」は1968年の『徳川女系図以来5年半で120本を超す作品作られヤクザ路線」と並ぶ看板路線地位占めたが、1973年頃から営業成績急落。特に1974年2月公開した多岐川裕美主演デビュー作として知られる聖獣学園』は「想像できない不入り」で、「ストリップ映画所詮キワモノだよ!」と岡田社長宣言しこの年6月公開されシャロン・ケリー梅宮辰夫セックス戦が展開される色情トルコ日記をもって撤退表明した。 しかし地方では当時東映でも3本立てがあり、「仁義なき戦いシリーズ」などのヒット作ロングラン態勢確立のため3週目以降併映加えたり春休み夏休み展開した東映まんがまつり」や「特撮大会」を早く切り上げて大人向け番組欲しがる下番線(地方館)のために、1973年春から「300(製作費)映画」の独立プロの「ピンク映画」を模倣した500(製作費)映画」が作られた。 「500ポルノ」という名称は1975年文献にも見られる。 「アニメなんか見たくねえ」という筋金入り東映観客多かった先の東映㊙ポルノ大会」が東京第一プロ向井プロJAAなどの独立プロ作品買い取って配給し1973年「㊙ナウポルノ」と改称されたが、他社からの買い取りではなくこの年京撮本体製作され成人映画を「東映ニューポルノ」と呼ぶ。どうせなら自分のところで作った方がいいとの岡田社長判断である。 「東映ニューポルノ」は2015年現在データベースにも記載のない本田達男監督の『情欲のぞき窓』が嚆矢とされ50分、あるいは60前後中篇1974年まで20数本製作されとされる。 元々「500ポルノ」は、テレビ映画製作されていない間に、空いたスタッフ導入して下番線用の安い映画を作ろうとして出発、あくまでテレビ一話分として発想され、そのため上映時間50分、撮影日数実働7日間などと限定されていた。 2013年7月東京ラピュタ阿佐ヶ谷史上初となる「東映ニューポルノ」特集上映組まれたが、その際立教大学助教授教え子殺人事件扱った女子大生失踪事件 熟れた匂い』(1974年荒井三雄監督)などが上映中止となったとされる1974年暮れから公開されフランス映画エマニエル夫人』が大ヒットし、同作配給元は、当時まだ弱小日本ヘラルド映画で、上映館は狭い劇場多く満員入場お断りされるお客続出しエロあぶれた男たちは必ずエロ戻ってくる!」と、東映1975年正月の『怪猫トルコ風呂』『赤線地帯』(宮下順子主演向井寛監督)『下苅り半次郎観音探せ』(森崎由紀主演原田隆司監督)から「ポルノ路線」を再開させた。 1975年、京撮で製作された『玉割り人ゆき』は、監督牧口雄二が製作費は500だったと話している。 この後1970年代後半角川映画組んで大作1本立て」を始めるまでは散発的に主に二番館向けとして「東映ポルノ」は製作が続いた東映本体1979年の『天使欲望』(監督関本郁夫をもってポルノから一応再撤退したものの、1980年代半ばまで関連会社の「東映セントラル」を通して主として獅子プロ作品などピンク映画及び洋ピン買取り配給していた。

※この「東映ニューポルノ」の解説は、「東映ポルノ」の解説の一部です。
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