玉割り人ゆき 西の廓夕月楼とは? わかりやすく解説

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玉割り人ゆき 西の廓夕月楼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/24 14:06 UTC 版)

玉割り人ゆき 西の廓夕月楼
監督 牧口雄二
脚本 田中陽造
原作 三木孝祐(作)、松森正(画)
出演者 潤ますみ
坂口徹
森崎由紀
中島葵
音楽 渡辺岳夫
撮影 塩見作治
編集 神田忠男
製作会社 東映京都撮影所
配給 東映
公開 1976年2月14日
上映時間 64分
製作国 日本
言語 日本語
前作 玉割り人ゆき
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玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』(たまわりにんゆき にしのくるわゆうずきろう[1][注 1])は、1976年公開の日本映画潤ますみ主演・牧口雄二監督。東映京都撮影所製作。R−18作品。原作は松森正の劇画『玉割り人ゆき』。

1975年に公開された同じ潤ますみ主演・牧口雄二監督の『玉割り人ゆき』が、実録路線をひた走る東映にあって"ユニークなポルノ"と高評価を得て[3]、急遽シリーズ化が決まり、"玉割り人ゆき"シリーズとして[4]、製作された第二弾[3][4]。第三弾製作の予定もあったが、作られることはなかった[5][6]

併映は『愉快な極道』(若山富三郎主演・山下耕作監督)、『くの一忍法 観音開き』(橘麻紀主演・皆川隆之監督)。

あらすじ

京都島原遊廓を逃げるようにして出たゆきが、金沢の三大遊郭の一つ・西の廓で再び玉割り人として働き、娼妓たちを相手にした性の訓練と、青年楼主とその愛人との三角関係に苦しむ姿を描く[4][5][3][7]

スタッフ

キャスト

製作

脚本・演出

舞台が原作とは違うので実際は田中陽造のオリジナル脚本[6]。田中と牧口監督、プロデューサーと金沢にロケハンに行ったが、由緒正しげな町背景にポルノが馴染まず、九谷焼絵師をヒロインに絡ませるというストーリーも段取りめいてつまらないと牧口とプロデューサーから却下され、会社から1963年の佐久間良子主演、田坂具隆監督『五番町夕霧楼』にあやかって作れと指示された[6]金沢方言は、生粋の金沢出身者が二人がかりで手直しした[6]。牧口の演出の狙いは、昔ながらの漆黒の屋根が連なる町並みや、文明の波に洗われてないひなびた寒村と、美しい自然をバックにどろどろとした人間関係を浮かび上がらせたい、だった[3]

撮影

製作費は前作と同様500万円と牧口が当時のインタビューで述べていたが[8]、1996年のインタビューでは、もう100万円出してやると言われ、このため金沢でロケをすることができたと述べている[9]。1975年7月12日のクランクインを報じた『サンケイスポーツ』1975年7月13日付に記事には、日数も製作費も前作から倍増と書かれている[3]。低予算の東映ニューポルノのため残業は一切禁止、撮影関係者の努力で金沢と福井県越前海岸[3]、総勢30人のスタッフを送り込み[3]ロケ2日半、実働12日間で撮影された[8]。最初と最後の橋は物語上では金沢周辺でなくてはならないが、京都木津川流れ橋で撮影されている[9]

キャスティング

潤ますみは「降って湧いたような第一作の主役。それが好評で、ラッキーとしか言いようがありません。ちょうどお仕事に意欲が沸いてきたところだし、前作以上のものにしたい」と意欲を見せた[3]

ところが牧口は「主役の潤が芝居が下手過ぎて、すごい上手い人が欲しいと中島葵をお俊役にキャスティングした」と話している[9]三味線を自分で全部弾き、「すごいですよ。本当の役者でしたよ。今、そんなことが出来る女優はいない」などと称賛している[9]。 反対に潤ますみは「雰囲気だけの女優」と手厳しい[9]。 また、『仮面の忍者 赤影』の赤影役として一世を風靡した坂口徹(坂口祐三郎)が夕月楼の主人・清次郎を演じ、落剥する男を好演、男の哀感に坂口自身の境遇が重なっている[5][10]。坂口の映画出演は8年ぶりだった[3]

興行

1975年の8月の『暴力金脈』/『けんか空手 極真拳』と、「トラック野郎シリーズ」第1作『トラック野郎・御意見無用』/『帰って来た女必殺拳』の間に公開を予定されていたが公開されず[4]、その後半年お蔵入りされて、牧口監督の3作目『五月みどりのかまきり夫人の告白』(五月みどり主演、1975年11月1日公開)が先に公開された[5]

注釈

  1. ^ 『ぴあシネマクラブ 邦画編』では、"たまわりひとゆき にしのくるわゆうずきろう"となっているが[2]、劇中でも"たまわりにん"というナレーターが入る。

出典

  1. ^ 玉割り人ゆき 西の廓夕月楼 - 日本映画情報システム
  2. ^ 『ぴあシネマクラブ 邦画編 1998-1999』ぴあ、1998年、431-432頁。ISBN 4-89215-904-2 
  3. ^ a b c d e f g h i 「シリーズ化でポルノ度アップ 潤ますみら意欲 思いがけない金の卵!? 東映『玉割り人ゆき』第2弾撮影開始 『実録もの』に人気肉薄」『サンケイスポーツ産業経済新聞社、1975年7月13日、13面。
  4. ^ a b c d キネマ旬報』1975年9月下旬号 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明、170-171頁。 『キネマ旬報』1976年4月春の特別号 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明、175頁。 
  5. ^ a b c d 「『玉割り人ゆき』の世界」『映画秘宝』、洋泉社、2010年6月、83頁。 
  6. ^ a b c d 田中陽造「プロデューサーの殺し文句」『月刊シナリオ』日本シナリオ作家協会、1975年8月、31-32頁。 
  7. ^ エロ・グロ・純情 東映カルトプリンス 牧口雄二の世界/ラピュタ阿佐ヶ谷
  8. ^ a b 牧口雄二「古都金沢撮影の現場から」『月刊シナリオ』日本シナリオ作家協会、1975年8月、30-31頁。 
  9. ^ a b c d e 筒井武文・多田功「ロングインタビュー牧口雄二」『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』ワイズ出版〈日本カルト映画全集8〉、1996年、35-64頁。 
  10. ^ 杉作J太郎・植地毅(編著)『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』徳間書店、1999年、190頁。ISBN 4-19-861016-9 

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