東映フライヤーズ監督
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1960年12月8日に東映フライヤーズのオーナー大川博に「金は出すが、口は出さない」と口説かれて東映監督に就任。水原は着任とともに、ユニフォームを自らデザインして頭文字のFを飛翔する鳥を摸したデザインになっている胸ロゴなどスタイリッシュな物に変更させた。このユニフォームは色づかいが巨人と似ていた(帽子・アンダーシャツなどの色は巨人が黒・東映は焦げ茶)ことや、水原が巨人時代と同じく三塁コーチも兼任していたため、「巨人の水原じゃないか?」と錯覚したファンも少なくなかったようである。 それまで東映は当時万年Bクラスに甘んじていたが、1961年に水原は就任1年目で南海ホークスとシーズン終盤まで優勝争いを繰り広げ2位に上げた。前年9勝を挙げていたがショートリリーフが中心だった久保田治を土橋正幸が先発した次の日の登板させて25勝、お山の大将でわがまま放題で誰も触らなかった山本八郎に対して例外扱いせず、「プロ野球というはチームが勝たなきゃ何にもならんのだ。ホームラン王、首位打者を獲っても20勝してもチームがBクラスじゃ給料上がらん。いかに一致団結して邁進するか、いかにチームのために自分を殺すかだ。」と説教した。張本勲は「やっぱり全然違うなと思いましたね。」と回顧している。同年は9月初めに勢いが落ちた南海に代わりに首位に浮上し、一度は初優勝が目前に迫る。ところが、優勝争いに慣れない面々は守備でエラーを連発するなど誤算が続出し、最終的に息切れし南海の優勝を許した。83勝52敗5分けの貯金31は球団史上最高、張本が首位打者、土橋が30勝、久保田が25勝、西園寺昭夫はリーグ最多の97得点、毒島章一もリーグ最多の11三塁打と投打が噛み合ってきた。 1961年オフには大規模な補強を敢行。浪商2年生だった尾崎行雄を中退させて入団させると、早慶戦で活躍した安藤元博、立教大学の青野修三、芝浦工大の岩下光一らも獲得。尾崎はエースとして活躍し、青野、岩下は二遊間を組んでレギュラーとなるなど、補強は成功。張本が打率333(リーグ4位)、31本塁打、99打点(共にリーグ2位)でMVP、久保田が防御率2.12で最優秀防御率、尾崎行雄が20勝を挙げて新人王と、それぞれタイトルを獲得し、チームはリーグ優勝を果たした。日本シリーズでは藤本定義率いる阪神タイガースと対戦、第1戦と第2戦に連敗し、日本シリーズ10連敗となりるが、第3戦に引き分けると、第4戦から4連勝して日本一を達成する。第1戦、第2戦で先発だった土橋は第3戦以降は救援に回って2勝を挙げて種茂雅之と共にMVPを獲得、第3戦からはデータ研究に長けていた安藤順三から種茂に捕手を変えると、種茂は思い切ったリードで投手の力を引き出し、打っても殊勲打を放った、第7戦では主砲張本勲に守備固めの選手と交代させるなど非情な采配でチームを引き締めた。以後1967年まで監督を務めて、常にAクラスを保った。張本は「私はいつも言うけど80年以上のプロ野球の歴史の中で、名将と言えるのは、三原脩さん、水原さん、鶴岡さん、川上哲治さん、この4人だと思うんですよ。優勝して、その後もっと戦力を上げたいじゃないですか。補強もしたい。そのためにはお金も使いたい。ムダなお金じゃないんだから。ところが球団が聞く耳を持たなかったから水原さんは去っていくわけです。東映に7年いらっしゃて、最後の2年ぐらいは我慢したそうなんですよ。」と回顧している。 1965年頃にオープン戦で韓国に遠征した際、あるゲームで大杉勝男が韓国のノンプロチームをひいきする地元審判の露骨なジャッジに腹を立てて悪態をついたのを見るや、水原は大杉を呼びつけるなりビンタを飛ばした。これを見た韓国の観客は水原の行動に心服し涙したという。 1965年に捕手のレギュラーに定着した白仁天を、水原は翌1966年に外野手に転向させる。1967年には大下剛史をショートにレギュラーに抜擢し、大下自身も「オヤジ(水原監督)には感謝している」と語っていた。 毒島章一は「水原さんは勝負師というかな、勝つためにどうしたらいいか、ということがしっかりしてる。そういう人が来て初めて、チームワーク、勝つことに対する執念が出てきた感じでした。で、その上で細かい野球をやる。それまではわりかし自由で、大雑把な野球でね」と語っている。土橋正幸は「水原は血もない涙もない監督だった。でも、監督はそれぐらいじゃないとダメ、優勝できないね。私は結婚して、仲人、水原だったけど、シーズン中、水原と会話もなかったし、一度も褒められたことがない」と語っている。 1967年11月25日に大川博オーナーから監督の解任を通告された。
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