東映ポルノの展開
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本作はレズシーンなどエロ要素もあるが、女性の裸があるわけではない。東映専属女優で脱ぐのは三島ゆり子ぐらいしかいなかったためで、岡田はこの後も『続大奥㊙物語』や『尼寺㊙物語』といった「マル秘シリーズ」を自らの発案で仕掛けていくがどちらも不入りに終わる。「中途半端なことしてたからアカンのや」と、敗因は裸が少ないからと分析し、回りの反対を押し切り、岡田の右腕・天尾完次プロデューサーに「ピンク映画の女優を大量に引き抜いて来い」と指示し、メジャー映画会社として初めて、東映専属ではないピンク女優を大量投入して石井輝男に撮らせたのが1968年の『徳川女系図』であった。当時は大蔵映画、国映などの独立プロがこうしたエロ映画を製作していて大手五社が手を染めることは大きな抵抗感があったが、岡田は易々と一線を越えピンク路線に舵をきった。石井は当時『網走番外地シリーズ』を手掛けていたが、もう飽き飽きしていて「何か別の事をやらせてください」と岡田の要請に応えた。 詳細は東映ポルノを参照 『徳川女系図』は3000万円の製作費でたちまち一億円以上稼ぎ石井はその後もヌード、セックスだけでなく、拷問、処刑等、グロテスクな描写を取り入れ「異常性愛路線」としてエログロをエスカレートさせた。"岡田チルドレン"鈴木則文、内藤誠、関本郁夫、牧口雄二らもその流れに加わり、東映は多くのピンク映画を量産していく。東映ポルノはたくさんのジャンルのエロ映画を量産したが、「エロ大奥」も1969年『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』(石井輝男監督)、1972年『徳川セックス禁止令 色情大名』、『エロ将軍と二十一人の愛妾』(鈴木則文監督)など、エロがパワーアップし興行的にも成功し1977年、関本郁夫監督の『大奥浮世風呂』まで製作が続いた。一方、テレビドラマ版『大奥』が硬い内容で女性に受けたため、これと同じ1968年に岡田は『大奥絵巻』という、出演者は大体同じメンバーで硬い内容の「大奥もの」を映画で一本制作している。しかし興行的には今ひとつで、硬い内容の「大奥もの」映画はこの後は製作しなかったが、テレビドラマでは『大奥』の後、『大坂城の女』(1970年)、『徳川おんな絵巻』(1970年)と連作され、これらは「大奥シリーズ3部作」と呼ばれた。
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