東映新人時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:57 UTC 版)
大学卒業後、スタジオジブリの研修生採用試験を受けて最終選考に残るが、不採用となった。大学三年のとき「大林宣彦ピアノリサイタル」を企画し、『少年ケニヤ』で声をかけてもらった田宮武プロデューサーに大林の連絡先を聞こうと上京したら、田宮に就職相談と勘違いされ、「オレは東映動画にもサンライズにも日本アニメーションにも顔が利くから、どこでも入れてあげるよ。キミはどこがいいの?」と言われたため「じゃあ、やっぱり東映かな」と答え、これが縁で1991年に東映動画 (後の東映アニメーション) にアニメーターとして入社した。大林のピアノリサイタルの件は立ち消えになった。山下高明に師事し、動画を経てOVA『Crying フリーマン5 戦場の鬼子母神』で初の原画、アニメ映画『Coo 遠い海から来たクー』で作画監督補佐を担当する。
※この「東映新人時代」の解説は、「細田守」の解説の一部です。
「東映新人時代」を含む「細田守」の記事については、「細田守」の概要を参照ください。
- 東映新人時代のページへのリンク