東映実録トリオの造反
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本作は総会屋を題材にした『暴力金脈』というタイトルで、この年のお盆作品として3年間で60億円稼いだといわれる深作欣二監督・笠原和夫脚本・菅原文太の"東映実録トリオ"で製作が決まっていたが、「東映側の酷使が過ぎて創作意欲をなくした」と三人揃って造反、製作を拒否した。深作は『資金源強奪』の三週間足らずの製作日程に腹を立て、「監督・深作欣二」の文字を外せと抗議しタイトルクレジットが平仮名の「ふかさくきんじ」表記になった。また菅原文太は男性ファッション誌『男子専科』(スタイル社)1975年8月号で『薔薇のスタビスキー』のジャン・ポール・ベルモンド風1930年代のファッションで久々に本業で登場し「会社のいいなりになっていると殺される」などと話し、モデル復帰かと東映に警戒された。菅原はモデルクラブ「SOS(ソサエティ・オブ・スタイル)」にまだ籍を置いていた。また「実録路線は峠を越した。オレがいま興味があるのはダウン・タウン・ブギウギ・バンド、彼らとの共演映画を会社が認めなければ、他の映画に出ない」など、1975年4月に「三ヶ月仕事を休む」と宣言し、会社に反撥した。 仕方なく代替作品として野上龍雄が3年前に書いてオクラ入りしていた『企業やくざ・悪人対悪人』という脚本が浮上。しかしこれは暴力団の企業面への転身を当時のマスコミが精力的に叩いていたことにヒントを得て企画されたもので、総会屋の話は全くなく、このため総会屋を前々から取材していた笠原の脚本参加を条件に野上は仕事を受けた。野上は総会屋の知識はなく急ぎ笠原からレクチャーを受け脚本に入った。先の野上の脚本『企業やくざ・悪人対悪人』は本作の土台には全くなっていないといわれる。野上は取材を含めて脚本には最低4ヵ月欲しいと話しているが、1ヵ月少々で出来たのは笠原氏の取材があったからと話しているため、話の骨格は笠原と見られる。こうして監督が深作から中島貞夫に、主演が松方弘樹に交代した。『暴動島根刑務所』撮影中の1975年5月に松方弘樹に本作『暴力金脈』の主演打診があった。中島も山口組系の経済やくざに取材を行っている。
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