東映実録トリオの造反とは? わかりやすく解説

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東映実録トリオの造反

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 05:03 UTC 版)

暴力金脈」の記事における「東映実録トリオの造反」の解説

本作総会屋題材にした『暴力金脈』というタイトルで、この年お盆作品として3年間で60億円稼いだといわれる深作欣二監督笠原和夫脚本菅原文太の"東映実録トリオ"で製作が決まっていたが、「東映側の酷使過ぎて創作意欲なくした」と三人揃って造反、製作を拒否した深作は『資金源強奪』の三週間足らずの製作日程腹を立て、「監督深作欣二」の文字外せ抗議しタイトルクレジットが平仮名の「ふかさくきんじ表記になった。また菅原文太男性ファッション誌男子専科』(スタイル社)1975年8月号で『薔薇のスタビスキー』のジャン・ポール・ベルモンド1930年代ファッション久々に本業登場し会社いいなりになっていると殺される」などと話しモデル復帰かと東映警戒された。菅原はモデルクラブ「SOS(ソサエティ・オブ・スタイル)」にまだ籍を置いていた。また「実録路線峠を越したオレがいま興味があるのはダウン・タウン・ブギウギ・バンド、彼らとの共演映画会社認めなければ、他の映画出ない」など、1975年4月に「三ヶ月仕事を休む」と宣言し会社反撥した。 仕方なく代替作品として野上龍雄3年前書いてオクラ入りしていた『企業やくざ・悪人悪人』という脚本浮上。しかしこれは暴力団企業面への転身当時マスコミ精力的に叩いていたことにヒント得て企画されたもので、総会屋の話は全くなく、このため総会屋前々から取材していた笠原脚本参加条件野上仕事受けた野上総会屋知識はなく急ぎ笠原からレクチャーを受け脚本入った先の野上脚本企業やくざ・悪人悪人』は本作土台には全くなっていないといわれる野上取材含めて脚本には最低4ヵ月欲しいと話しているが、1ヵ月少々出来たのは笠原氏取材あったからと話しているため、話の骨格笠原と見られる。こうして監督深作から中島貞夫に、主演松方弘樹交代した。『暴動島根刑務所撮影中の1975年5月松方弘樹本作暴力金脈』の主演打診があった。中島山口組系の経済やくざ取材行っている。

※この「東映実録トリオの造反」の解説は、「暴力金脈」の解説の一部です。
「東映実録トリオの造反」を含む「暴力金脈」の記事については、「暴力金脈」の概要を参照ください。

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