東映動画の誕生と動画スタジオの建設
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「白蛇伝 (1958年の映画)」の記事における「東映動画の誕生と動画スタジオの建設」の解説
1956年(昭和31年)、東映は手始めとして、負債を抱えていた日動映画株式会社を社員ごと買収し、東映動画株式会社へと商号変更させた。この東映動画に『白蛇伝』のために集めたスタッフを送り込み、『白蛇伝』へ向けた慣らしの意味も込め、短編アニメ『こねこのらくがき』の制作を開始させた。 建設中の動画スタジオのために、スタッフの養成も始まった。日動映画を吸収することで、東映はベテランのアニメーター達を手に入れた。その中には、山本早苗(後、戸田早苗)、大工原章、森康二などがいる。しかし長編『白蛇伝』のような大がかりなアニメを制作・量産していくためには、圧倒的に人数が足りない。そこで美術大学などにアニメーターとなる人材を求め採用した。この東映動画一期生達は、日動映画のベテラン達に指導を受け、日本アニメの基礎を担う人材へと育っていく。この時に入社した新人には、後に『ルパン三世』や『未来少年コナン』の作画監督を務めた大塚康生などがいる。 1957年(昭和32年)には東映東京撮影所(東大泉)の敷地内に動画スタジオが完成。東映動画は日動時代の新宿区原町から同スタジオに移転した。やがて大泉周辺には、大小のアニメスタジオが集まるようになっていく。
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