シリーズ後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/06 06:13 UTC 版)
「ボルチモア・オリオールズ対キューバ代表の親善試合」の記事における「シリーズ後」の解説
既に現役を引退していたリゴベルト·ベタンコートはキューバの300人代表団の一員として同行し、アメリカ滞在中に亡命を申請した。しかしキューバ代表選手は厳重な監視下に置かれ、アメリカの代理人は接触する機会を得られず、シリーズ中は亡命者を1人も出さなかった。アンディ・モラレスは2000年7月に亡命を果たし、マイナーリーグで2年だけプレーした。コントレラスはシリーズ後にキューバ最高の投手として国際的な名声を博し、2002年10月にアメリカス・シリーズ出場メンバーの一員としてメキシコ滞在中に亡命を果たした。キューバの有名な審判として知られ、このシリーズの他に第1回WBCや北京オリンピックでも審判を務めたネルソン・ディアスは2009年11月にアメリカへ亡命を果たした。 2000年3月にオリオールズのシド・スリフトGMが「キューバの選手の亡命を助長するのを避けたいアンジェロスからの要望により、キューバから亡命してきた選手とは契約しない事にしている」とワシントン・タイムズ紙に語った。司法省が雇用差別に当たるとして調査したが、「傘下マイナーチーム含めてキューバ人選手が1人も在籍していないのは不当な差別によるもの」という証拠を見つける事は出来なかった。 キューバの代表チームは2006年3月開催の第1回WBCで再びアメリカを訪れた。財務省の海外資産管理局は当初、WBCの収入が対キューバ経済封鎖措置に違反するとして入国禁止を通告していたが、MLB機構が粘り強く交渉を続け、キューバ側が賞金をハリケーン・カトリーナの被災地へ全額寄付すると表明し、入国が実現した。
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