大映・東映時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 14:13 UTC 版)
1949年(昭和24年)、新東宝から大映京都撮影所へ移籍。後に東映専属になるまでに大映、新東宝、宝塚映画、東映と各社の作品に出演。1953年(昭和28年)にはマキノ雅弘監督の『丹下左膳』で久方ぶりに丹下左膳役を演じた。翌1954年(昭和29年)公開の三隅研次監督『丹下左膳 こけ猿の壺』でも往年の丹下の睨み返しを披露しているが、これが最後の左膳役となった。 1957年(昭和32年)5月、東映京都撮影所に入社[信頼性要検証]。入社時に「過去の栄光は忘れてください」と言われ、主役・脇役を問わず、乞われるままに何でも演じている。その中には悪役も多く、往年のファンにとって観るのも辛い斬られ役もあった。しかし、貫禄ある演技を見せて5年間に70本を超える作品に出演した。 1962年(昭和37年)、東京駅で倒れ、京都に帰って療養に努めたが、7月18日に胃がんのため大河内山荘で死去した[信頼性要検証]。64歳没。
※この「大映・東映時代」の解説は、「大河内傳次郎」の解説の一部です。
「大映・東映時代」を含む「大河内傳次郎」の記事については、「大河内傳次郎」の概要を参照ください。
- 大映・東映時代のページへのリンク