小倉智昭
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小倉 智昭(おぐら ともあき、1947年〈昭和22年〉5月25日[2] - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ラジオパーソナリティ、実業家。東京12チャンネル(現:テレビ東京)[注 1]元アナウンサー。元オーケープロダクション取締役で、現在はオールラウンドに所属。株式会社バイオテクニカ代表取締役社長、株式会社PTP社外取締役。東京都在住。
注釈
- ^ a b c 小倉が入社した当時の株式会社テレビ東京は「株式会社東京十二チャンネルプロダクション」という商号の番組制作会社であり、この法人が後の1973年に財団法人日本科学技術振興財団から東京12チャンネルの放送免許を譲り受けて正式に放送事業者となり商号も「株式会社東京12チャンネル」に変更した(1981年に現在の商号に再変更)。これらの詳細・経緯については「テレビ東京#沿革」を参照。
- ^ 本籍地は香川県丸亀市であるという[6]
- ^ なお、2020年8月7日放送の『とくダネ!』の 本人談『私の母親は88歳で…』と実母の年齢を交えたトークからすると、放送時小倉は73歳であるので、母は15歳で智昭を出産した計算になる。
- ^ 当時の中大にはスペイン語学科が無かった。
- ^ 小倉自身は競馬実況担当時代の想い出として「ハイセイコーのレース(昭和49年第6回東京競馬 第9競走 サラ系4歳上オープン 芝1,800m、1974年11月9日【土】(サラ系4歳上)オープン ハイセイコーの成績参照)を実況したこと」を挙げている。
- ^ 当時のアナウンス業界では、技術は盗んで覚えるものとされ、先輩から後輩への技術指導は好ましく思われなかった。
- ^ 最初は競馬コーナーのみの担当だったが、その人気からレギュラー出演となった。
- ^ 父は(小倉と)結婚前に亡くなっているとの前妻の談である[6]
- ^ この日の朝は急遽「くにまるジャパン極」に出演(当初出演予定はなかったが入院のため出演できなくなるため予定外の出演)、経緯など詳細な説明を行った。
- ^ 絢香も研音に所属していた。
- ^ 「とくダネ!」終了までは本番終了後、フジテレビから文化放送まで、自動車で直接移動していた。
出典
- ^ 平松澄子 (2011年7月23日). “【プレミアムシート】キャスター・小倉智昭 「いつまで必要とされるかが勝負」”. MSN産経ニュース (産経新聞社). オリジナルの2011年12月9日時点におけるアーカイブ。 2011年12月9日閲覧。
- ^ a b 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、46頁。NDLJP:12276264/24。
- ^ a b c d e f g h 日刊スポーツ 2006年6月4日(28面)『日曜日のヒーロー519・小倉智昭』より。
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- ^ a b c d e f 週刊文春 2002年1月31日号 p.142-146「阿川佐和子のこの人に会いたい」
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- ^ a b 安全衛生のひろば(労働省労働基準局安全衛生部監修 中央労働災害防止協会発行)1991年2月号 p.4-7「対談 中尾彬のトークギャラリー」
- ^ “【オヤジンセイ】小倉智昭 「人におべんちゃら使わないのは親父似」所持金170円の過去も…“補欠の人生”をぶった斬る”. フジテレビュー!!. (2021年3月26日) 2021年12月5日閲覧。
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- ^ 小倉智昭“ライバル”発言で有働アナから手紙…宝物,日刊スポーツ,2018年4月4日
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- ^ 宝石(光文社)1997年11月号「十年十食 石狩太美のラーメン」
- ^ (エピソード、失言関連情報) 自らが焼肉店を営業していることもあり、フーズ・フォーラスが起こしたユッケによる食中毒事件に関しては「焼肉食べて中毒で死ぬ人よりも、フグの毒で死ぬ人のほうが年間にしては多いんじゃないかと思う」と言及し、生肉の取り扱い規制に対して反対意見を示した。しかし厚生労働省の発表(厚生労働省:食中毒に関する情報)によると平成15年から21年にかけて、フグ毒による食中毒の年間死者数は3人以下である(この中には釣ったフグを素人が調理したことによる事故も含まれており、これを除けば更に死者数は減少する。)
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- ^ 小倉智昭氏 「とくダネ!」卒業後に“デビュー”したことは?「今までは時間がなかった」― スポニチ Sponichi Annex 芸能 2021年5月17日
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- ^ 『週刊文春』2008年9月4日号、pp.35-36
- ^ 「マイク人生 東京五輪までは」日本経済新聞2016年3月5日夕刊16面
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- ^ [http://www.nanbyou.or.jp/entry/62 潰瘍性大腸炎(公費負担医療) 公益財団法人 難病医学研究財団 難病情報センター
- ^ 安倍元首相の「腹痛」を揶揄 「とくダネ!」に疑問相次ぐ J-CASTニュース 9月28日 20時2分配信
- ^ フジテレビ『とくダネ!』で厚生省指定の難病を「お腹が痛くて」と表現し安倍総裁批判 ガジェット通信 9月28日16時45分配信
- ^ “安倍氏「腹痛辞任」コメントは不適切 「とくダネ!」小倉キャスターが謝罪”. JCASTニュース (2012年10月1日). 2012年10月5日閲覧。
- ^ 小倉智昭は体罰容認派?「目つぶってもいいんじゃないというのもある」 J-CAST1テレビウォッチ2013年1月11日付、2013年1月12日閲覧
- ^ レディー・ガガを「バガ」呼ばわりした小倉智昭に、批判殺到中!「ジジイ・ヅラに改名したらいいのに」 日刊サイゾー2014年12月2日付・閲覧
- ^ a b c d e f 小倉智昭 - オリコンTV出演情報
- ^ 北海道新聞 1991年10月6日(19面)、1992年4月5日(25面)、いずれもラジオ欄より。
- ^ “ラジオ「Changeの瞬間~がんサバイバーストーリー」好評放送中 【随時更新】”. 日本対がん協会. 2023年5月7日閲覧。
小倉智昭
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元アナウンサー、司会者。自宅や北海道にAVルームを所有しており、THXマークをクレジットすることをホームシアターとしては日本で初めて許されている。自身が司会を務める「情報プレゼンター とくダネ!」でもオープニングトークやAV機器に関するニュースの際に熱く語っている。オーディオ機器だけでなくビジュアル機器にも精通している。
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