たけしのお笑いサドンデス
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たけしのお笑いサドンデス | |
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ジャンル | 演芸番組 |
出演者 | ビートたけし 立川談志 上田馬之助 ほか |
製作 | |
プロデューサー | 桂邦彦 |
制作 | TBS |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1983年10月26日 - 1984年6月27日 |
放送時間 | 水曜 19:00 - 19:30 |
放送分 | 30分 |
『たけしのお笑いサドンデス』(たけしのおわらいサドンデス)は、TBS系列局(1984年3月までは信越放送と北陸放送を除く)とテレビ山口(当時フジテレビ系列とのクロスネット局)で放送されたTBS製作の演芸番組である。TBS系列局では1983年10月26日から1984年6月27日まで、毎週水曜 19:00 - 19:30 (日本標準時)に放送。
概要
1984年7月度(9月)まで放送された『笑ってポン!』から引き続きビートたけしが司会を務める番組だが、放送時間が従来の1時間から30分に半減され、新番組としてリニューアルされたものである。
一般からの参加者たちが芸を披露し、それを審査員たちが採点するゴングショー形式の視聴者参加型番組。優勝者には、司会のビートたけしが芸名の名付け親になるという特典が用意された。
番組は途中、後述の「一芸コーナー」をコントコーナーに変更し、エンディングでギター芸を披露するなどのテコ入れが図られたものの、9か月で終了した。
審査員
本番組の審査員たちは「三議員」(さんぎいん)と呼ばれていた。落語協会を脱退した直後の立川談志やプロレスラーの上田馬之助らがキャスティングされた。
出場者
常連となった出場者に桂文福(桂小文枝の弟子)がいる。また、素人時代のデーモン閣下、テントと改名する前の大空テント(上岡龍太郎の弟子)、形態模写アーティストの好田タクトも出場していた。好田の芸名は、この番組で優勝した際にたけしから名付けられたものである[1]。
毎回最優秀の出場者には「三議員タコ賞」として、番組のマスコットであるタコをモチーフにしたトロフィーと副賞として海外旅行が贈られた。ただし、談志の辛口な審査によって受賞者がいないこともあった。
一芸コーナー
番組後半はたけし軍団の一芸コーナーで、たけし軍団の知名度が上がるきっかけとなった。このコーナーの進行役は大森うたえもんが務めた。師匠のたけしは、大森の司会者としての素質を評価していた[どこ?]。
スタッフ
脚注
- ^ スパンキープロダクション在籍当時のプロフィールより。“koda-tact.xls - takuto.pdf (PDF)”. スパンキープロダクション. 2016年6月28日閲覧。
参考資料
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 |
- 『ユリイカ』(青土社)1998年2月臨時増刊『総特集 北野武 そして/あるいはビートたけし』
TBS系列 水曜19:00枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
たけしのお笑いサドンデス (1983年10月26日 - 1984年6月27日) | たけしのホッカホッカタイム (1984年7月4日 - 1984年9月26日) |
固有名詞の分類
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