桂邦彦とは? わかりやすく解説

桂邦彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/08 16:10 UTC 版)

桂 邦彦(かつら くにひこ、1942年6月5日[1] - )は日本テレビプロデューサー演出家。元TBSプロデューサー。神奈川県出身[1]東京都立新宿高等学校[1]日本大学芸術学部卒業[1]。趣味は相撲テニス

来歴・人物

1965年、TBS[2]に入社。以来、多くの番組を制作。主にビートたけし出演のバラエティ番組を手がけた。代表作は1986年に放送を開始した『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』。この番組の大ヒットでプロデューサーから副部長に昇進を果たす。野外で出場者に豚汁を振舞うサービスを見せた。この他に審査員や出演者としても活躍した。たけしがオールナイトニッポン担当時、桂の名前を実名でよく出して、いじっていた。

ネットチェンジによりTBSでネット開始された『ヤングおー!おー!』(MBS制作)[3]では、月1回行われていた東京収録でディレクターを担当。この時に同番組プロデューサーの林誠一(毎日放送)から「東京と二元中継でお笑い番組をやりたい」と言われ、林と共同で『サンデーお笑い生中継』を立ち上げた。MBS発ではあるものの、桂にとってこの番組は初のプロデュース作品となり、東京方司会に当時駆け出し中だったタモリを起用し、当時人気上昇中だったツービートなど浅草芸人を東京方レギュラーに抜擢した。番組そのものは7ヶ月で終了したが、この東西独特のキャスティングが後の漫才ブームにも繋がった[4]

その後、1996年から1年間のアメリカ留学を経て、2002年に定年退職、株式会社桂芸能社を東京都港区赤坂のTBSの近くに設立した。

エピソード

ビートたけしの番組制作にしばしば携わり、「伝説のプロデューサー」などと言われることもあるが[5]、プロデュースした番組の多くは短命に終わっている。長いプロデューサー生活でヒットした番組は『風雲!たけし城』だけだった。

子供の頃から相撲が得意で、小学生の頃はクラス全員に勝ったり、隣町の町内相撲大会にまで出場して賞金を稼いだりしていた[1]。少年時代は本当に力士になりたいと思っていたこともあり、そのことを父親に打ち明けたら、猛反対されてあきらめたという[1]。『たけし城』では相撲のゲーム「相撲でポン!」に対戦相手として自ら出演。1986年9月の放送ではこれに6連勝して、たけしを驚かせたということもあった[1]1995年1997年の『オールスター感謝祭』では前任者であった蔵間竜也の病死に伴い『大相撲赤坂場所』の行司に起用された。その際、登場時のテーマ曲に使われたのは『たけし城』の番組テーマ曲であった。

太田プロダクションから独立して干されていた爆笑問題を拾い上げて『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』に出演させたことから、お世話になった人として名前が挙がることがある[6]

主な担当番組

TBSテレビ

レギュラー番組

スペシャル番組

  • 初笑いうるとら寄席
  • たけしの涙と笑いの謹賀新年
  • お笑いベストヒット
  • 金曜テレビの星!『ダウンタウンのいた~いスペシャル・アジアの国からコニャニャチワ!』(1993年)
  • 39時間テレビ内コーナー『目指せ次代のコント覇者! 第1回お笑いウエスタンカーニバル』
  • ウンナンお笑いバトル(初期のみ)
  • 日本一のご接待ツアー
  • 輝け!芸能人が選んだ全世界アカデミー大賞!!
  • オールスター感謝祭(1995年春 - 1997年春のみ)

その他

脚注

  1. ^ a b c d e f g 河北新報 1986年9月18日朝刊 24面「登場」コーナー
  2. ^ 会社法人としては現在のTBSホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビTBSラジオ
  3. ^ 1975年3月30日までMBSテレビはNET(現・テレビ朝日)および東京12チャンネル(現・テレビ東京)の系列であったため、同番組は関東地方では1969年7月から3ヶ月間はNETで、1969年10月から1975年3月までは東京12チャンネルでネットされていた。
  4. ^ 『テレビがくれた夢 桂邦彦』(2013年制作、TBSチャンネル
  5. ^ 『池の水ぜんぶ抜く』に世界が関心!『ねほりん』もPR - MIPTV前編”. マイナビ (2018年4月25日). 2020年1月25日閲覧。
  6. ^ 爆笑問題カーボーイ』2014年2月18日放送分。

関連項目

外部リンク


桂邦彦

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ビートたけしのオールナイトニッポン」の記事における「桂邦彦」の解説

当時TBSプロデューサー通称TBSさん」。たけしメイン番組多数制作しながら全くヒットさせられない珍妙な言動を、虚実織り交ぜて紹介本人ビアガーデン企画等に出演した事もある。たけしは揶揄しながらも、何とかヒット番組作り男にしてやろう考えているフシがあったと見られる。その思いは『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』で結実することになる。

※この「桂邦彦」の解説は、「ビートたけしのオールナイトニッポン」の解説の一部です。
「桂邦彦」を含む「ビートたけしのオールナイトニッポン」の記事については、「ビートたけしのオールナイトニッポン」の概要を参照ください。

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