成島柳北とは? わかりやすく解説

なるしま‐りゅうほく〔‐リウホク〕【成島柳北】

読み方:なるしまりゅうほく

[1837〜1884]漢詩人随筆家ジャーナリスト江戸生まれ本名、惟弘(これひろ)。幕臣として騎兵奉行外国奉行などを歴任維新後欧米を外遊し、明治7年(1874)朝野新聞社長となり、文明批評展開したまた、花月新誌」を創刊。著「柳橋新誌」「京猫一斑」など。


成島柳北 なるしま りゅうほく

成島柳北の肖像 その1
天保8年2月16日明治17年11月30日(1837~1884)

東京生まれ、ジャーナリスト、漢詩人随筆家。父は幕府奥儒者安政3年1856奥儒者任命され徳川家定家茂経学講じる文久3年(1863)、狂詩により幕府諷したかどで、閉門慶応元年1865)再び登用され外国奉行会計副総裁などを歴任維新後明治7年(1874)『柳橋新誌』を刊行同年9月には「朝野新聞」の主筆として迎えられ諷刺富んだ文章で名声博す10年(1877)には文芸雑誌花月新誌」を創刊した。

キーワード ジャーナリスト, 文学者
号・別称 惟弘(これひろ)
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. 柳橋新誌 初編 / 成島柳北著 山城屋政吉, 明7.4 <YDM24375>
  2. 柳橋新誌. [1], [2] / 成島柳北(弘)著 奎章閣, 明7 <YDM100126>
  3. 古銭鑑識訓蒙 / 成島柳北(弘)著 桜井敬三, 明17.12 <YDM41322>
  4. 東海遊侠伝 / 山本鉄眉五郎)著 ; 成島柳北閲 与論社, 明17.4 <YDM202423>
  5. 柳北先生雑録集 / 成島柳北著 改進出版社, 明18.4 <YDM102544>
  6. 楊牙児奇談 / 神田孝平訳 ; 成島柳北(弘)編 中川次郎, 明19.12 <YDM101419>
  7. 明治維新撰泉譜 / 成島柳北編 朝野新聞社, 明15-22 <YDM41338>
  8. 柳北詩鈔 / 成島柳北著 ; 成島三郎博文館, 明27.1 (寸珍百種 ; 第39編) <YDM100134>
  9. 柳北全集 / 成島柳北著 博文館, 1897 <YDM84999>
  10. 群書類従目録 / 塙保己一編 ; 成島柳北, 黒川真頼群書類従出版所, 〔 〕 <YDM102562>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

成島柳北

読み方なるしま りゅうほく

幕末維新漢詩人随筆家新聞記者江戸生。成島筑山三男。名は惟弘・弘・温、字は叔厲・保民・確堂、通称甲子麻呂等、別号に何有仙史・?彦上漁史等。幕府仕え重用され徳川家定家茂経書講じる。また騎兵奉行外国奉行会計副総裁歴任維新後新聞界に身を転じ活躍した。「朝野新聞主筆漢詩文誌「花月新誌」を刊行。著に『柳橋新誌』。明治17年(1884)歿、48才。

成島柳北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 13:10 UTC 版)

成島柳北

成島 柳北 (なるしま りゅうほく、1837年3月22日天保8年2月16日) - 1884年明治17年)11月30日)は、江戸時代末期(幕末)の江戸幕府・将軍侍講、奥儒者文学者、明治時代のジャーナリスト。幼名は甲子麿(こしまろ)、通称は甲子太郎(こしたろう)、後に惟弘(これひろ)、弘[1]。娘婿に成島謙吉

略歴

欧州視察時の柳北(1872年頃)
成島柳北の墓(雑司ヶ谷霊園)

武蔵国浅草御厩河岸(現・東京都台東区蔵前2丁目)の松本家の3男として生まれた。次兄は、森家の養子となり大目付となった森泰次郎。泰次郎の次男に実業家の菅沼達吉が、泰次郎の孫(柳北の姪孫)に俳優の森繁久弥がいる。

のちに代々奥儒者の家柄である成島家へと養子に出され、第7代目奥儒者・成島稼堂の養子となり、成島姓となる[2]。そして、養父の跡を継ぎ、第8代目奥儒者となり、成島柳北と名乗るようになる。正史『徳川実紀』の編集主幹である図書頭成島司直は系図上の祖父となる。安政元年1月、将軍侍講見習となり、安政3年11月に将軍侍講となる。

成島家は19世紀前半から『徳川実紀』、『続徳川実紀』、『後鑑』などの編纂を続けており、柳北も長じてこれに従った。徳川家定家茂に侍講するが[3]、献策が採用されないため狂歌で批判し、1863年文久3年)8月9日に侍講職を解職される[4]。このころ、1862年(文久2年)から1864年元治元年)にかけて洋学者柳河春之や福沢諭吉らと交友を重ね、欧米の事情や学問を学んだ[3]。また、慶応年間に騎兵頭、外国奉行(3千、官位:従五位下・大隅守)、会計副総裁等を歴任。1868年慶応4年)4月、養子の信包に家督を譲り、向島の松菊荘に隠棲した。

明治維新後、仔細あって平民籍となるが、東本願寺法主の大谷光瑩欧州視察随行員として1872年(明治5年)、共に欧米を巡る[5]

欧州では岩倉具視木戸孝允らの知遇を得、特に親交のあった木戸からは帰国後、文部卿の就任を要請されたが受けなかった。また柳北は欧州視察の際に共済制度を見聞し、帰国後にそれを安田善次郎に伝え安田と共に日本最初の生命保険会社「共済五百名社」(現「明治安田生命」)を設立。(安田は、向島の柳北の家を訪ねたときは出された座布団を決して敷こうとはしなかった程、柳北を尊敬慕っていた。)

後には大槻磐渓の紹介によって、1874年(明治7年)に『朝野新聞』を創刊、初代社長に就任。1875年(明治8年)には、言論取締法の「讒謗律」や「新聞紙条例」を批判した[6]自由民権運動の中では、社論は大隈重信改進党に近く、大隈の設立した東京専門学校の初代の議員[7] (理事に相当[8])にも就任している。また文芸雑誌『花月新誌』を創刊し文芸界でも活躍[9]。商法会議所(現商工会議所)の設立、隅田川河畔の桜植樹等にも尽力、前米大統領グラントの接遇委員も勤めた。1884年(明治17年)11月30日、胸の病のため、48歳(満47歳)で死去した。本法寺(現東京都墨田区横川1丁目)に葬られたが、1909年雑司ヶ谷霊園へ改葬された[6]。現在の墓所は雑司ヶ谷霊園の1種4号6側2番[10]1885年(明治18年)生前の功績を称え墨田区向島にある長命寺に、石碑が建てられた[11] [6]

著書

『柳橋新誌』(初編1859年(安政6年)執筆、2編1871年(明治4年)執筆)は柳橋(現在の台東区柳橋)の花柳界を描いた戯作であるが、明治維新前後の転換期にあたって、江戸明治の世相の変遷も描いている。復刻版が日本近代文学館監修で出された[12]

また、安政期の日記『硯北日録』は太平書屋から複製本が出ている。

『航西日乗』は「新日本古典文学大系明治編」・「岩波文庫」等にも収録。

参考文献

伝記研究

  • 乾照夫 『成島柳北研究』(ぺりかん社 2003年)
  • 乾照夫編 『成島柳北 読売雑譚集 明治十四年一月-十七年十一月』(ぺりかん社、2000年)
  • 前田愛 『成島柳北』(朝日選書)、のち「著作集1」(筑摩書房
  • 黄民基 『唯今戦争始め候。明治十年のスクープ合戦』(洋泉社 2006年)

脚注

  1. ^ 柳営補任の表記による。
  2. ^ 成島稼堂の実子(三男)説もあり、吉川弘文館『国史大辞典』・小学館『日本歴史大事典』はその説によって記載されている。
  3. ^ a b すみだゆかりの人々 1985, p. 1.
  4. ^ 他に理由は諸説ある。
  5. ^ このときの紀行文が『航西日乗』である
  6. ^ a b c すみだゆかりの人々 1985, p. 2.
  7. ^ 中村尚美『大隈重信』吉川弘文館、2000年。 175頁
  8. ^ 佐藤能丸『志立の明治人』 上、芙蓉書房出版、2005年。 150頁
  9. ^ 『復刻版花月新誌』(全8巻、ゆまに書房、1984年)
  10. ^ 東京都雑司ヶ谷霊園案内図 (PDF) - 東京都公園協会、2019年12月29日閲覧。
  11. ^ 長命寺 -天台宗東京教区
  12. ^ 『近代文学館 名著複刻全集. 特選〔1〕』 柳橋新誌 / 成島柳北戯著、日本近代文学館、1971年。 

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