荻生北渓
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荻生 北渓(おぎゅう ほっけい、延宝元年(1673年)- 宝暦4年1月20日(1754年2月11日))は、江戸時代中期の儒学者。諱は初め玄覧、後に観(たすくる[1]、かん)、通称は惣七郎、字は叔達。生前に日本国内で刊行されたのは『官准刊行明律(訓点本明律)』のみで、実兄の荻生徂徠の著名性に隠れる形で知られていないものの、室鳩巣と並ぶ江戸幕府8代将軍・徳川吉宗のブレーンとして活躍した。
- ^ “暴れん坊将軍の作った法律はこんなに画期的だった!”. 國學院大學. 2024年6月25日閲覧。
- ^ 杉本欣久 「八代将軍・徳川吉宗の時代における中国絵画受容と徂徠学派の絵画観 -徳川吉宗・荻生徂徠・本多忠統・服部南郭にみる文化潮流-(PDF)」『古文化研究【第13号】』 黒川古文化研究所、2014年3月、註48。
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