山田喜之助
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山田 喜之助(やまだ きのすけ[1]、1859年6月30日(安政6年6月1日) - 1913年(大正2年)2月20日[2])は、日本の弁護士[1]、政治家・衆議院議員。衆議院書記官長[3]。司法次官[3]。東京代言人組合(東京弁護士会の前身)会長[3]。号は奠南(てんなん)[4]。東京専門学校、英吉利法律学校創立に関与した[2]。
- ^ a b c d 『日本現今人名辞典』や19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年7月26日閲覧。
- ^ a b 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』261頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『衆議院議員列伝』361-362頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月5日閲覧。
- ^ a b c d 『現代百家名流奇談』91-93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 七戸克彦「山田喜之助・正三・作之助・弘之助 : 神戸学院大学・山田作之助関係資料に寄せて」『神戸学院法学』第46巻、神戸学院大学法学会、2016年10月、87-185頁、CRID 1050282810878453888、hdl:2324/1785513、ISSN 0386-2046、NAID 120005859684。
- ^ a b 山田 喜之助とはコトバンク。2016年12月5日閲覧。
- ^ 尾崎行雄「咢堂自伝」第七章「進歩党全盛時代 隈板内閣瓦解」p202-203より。
- ^ a b c d e 『名士の笑譚』105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月14日閲覧。
- ^ 『官報』第621号「叙任及辞令」1885年7月27日。
- ^ 『岡倉天心』松本清張、河出文庫、p84
- 1 山田喜之助とは
- 2 山田喜之助の概要
- 3 栄典・授章・受賞
- 4 参考文献
- 山田喜之助のページへのリンク