帝国議会の批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
第9回議会では、民法典論争でも批判された債権譲渡自由の弊害を懸念する発言も出たが、「今日開けた世の中で、債権は原則として譲渡することを得ぬと云ふやうなことは是は到底行はるる話ではなからう」という政府委員梅の説明で納得している。日清戦争以後の急速な資本主義の発達は、もはやかつての延期論の成り立つ土壌を失わせていたのである(福島)。 第10、12回議会では、元田肇・安部井磐根ら対外硬派により、外国人の私権につき原則と例外を逆転させて外国人は法令・条約に規定ある場合に限り私権を享有するという修正案が出された。仏民法典はこの立場である(星野)。 仏民法11条 外国人は該外国人が属すべき国家の条約に依りフランス人に現に与へられ又将来与へられるべき私権と同じきものをフランスに於て享有す 明治民法2条(現3条2項) 外国人は法令又は条約に禁止ある場合を除く外私権を享有す 穂積陳重・山田三良、梅の説得工作が功を奏し、修正に至らなかった。 第12回議会では、外国人に原則適用されない家族法を急いで制定すべきでないという論点が再燃。これに対し、全編施行が無ければ政府に無用の外交上の負担を掛けかねないという鳩山和夫らの条約改正優位論が説得力を持ったようである。 衆議院では、明治民法の隠居制度や家督相続を批判する山田喜之助の反対論が出たが、多数の支持を得なかった。 明治初年に於きましては、家督権利杯(など)と云ものは一向其考へがない…相続と云ふものは、凡ての子供が均一に相続するの方あると云ふのを長子のみ相続するのであると云ふことに変へまするも、凡ての子供と云ふものは、現に法律に依って得て居る権利を法律の改正のために奪取られて仕舞ふのです。 — 山田喜之助、第12回帝国議会 貴族院では加藤弘之が審議延長を求め、法典成立を急ぐ伊藤首相と対立したが、同月中に法案が可決成立、民法典が全編完成。断行派と延期派の争いは、この時ようやく完全決着したとも言える。
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