帝国議会デビューとは? わかりやすく解説

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帝国議会デビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)

三木武夫」の記事における「帝国議会デビュー」の解説

総選挙結果政友会はほぼ解散前議席維持し民政党はやや議席減らしたものの、これまで続いてきた既成政党人気低落には歯止めがかった形となった林内閣居座り決め込もうとするが、政友会民政党連携前に総辞職した元老西園寺公望重臣らは、陸軍にも議会各派にも受け入れ可能な近衛文麿総理とすることとし1937年昭和12年6月4日挙国一致内閣標榜する第1次近衛内閣成立する帝国議会開会日程決まり三木無所属議員小会派議員らは有効な議会活動を行うために院内会派結成検討する三木を含む無所属議員国民同盟、旧昭和会などの小会派議員協議重ね、第71帝国議会開会直前7月21日には49名の衆議院議員院内会派第一議員倶楽部結成されることになった。しかし三木第一議員倶楽部には参加せずに、無所属議員一部参加する院内会派第二控室」に所属することになった第二控室13名の議員構成されており、第1回衆議院議員総選挙以降連続当選続けていた尾崎行雄ら、個性豊かなメンバー揃っていた。当時三木尾崎議会の大先輩として仰いだという。 第71帝国議会開会前6月17日夜、三木東京発って地元徳島県選挙区向かい地元抱え数々課題について実態調査行った。更に6月末から7月初旬かけても地元の各町村役場きめ細か巡り、各町村実情について調査したその後三木議会報告開催するなどかなり頻繁に地元入りして、選挙区との関係強化図っていった。 三木国会デビューとなった71帝国議会では、7月31日人造石油製造事業法一件委員会委員として初質問行った開会直前には盧溝橋事件発生し日中全面衝突する事態へと発展していった。そのような中、閉会前に超党派戦場慰問団の派遣決定され三木小泉又次郎団長とする中国方面慰問団員となり、8月15日から9月3日にかけて、国会議員としての初外遊行った三木衆議院本会議での初質問1938年昭和13年2月22日、第73帝国議会のことであった本会議三木大蔵大臣賀屋興宣対し政府提出した支那事変特別増税に関して増税産業振興悪影響与える点、すでに多く負担担っている国民にとって更なる負担増大となる点を批判し増税を行う前提条件として富の偏在正す必要がある指摘したその上で真の挙国一致のためには、政府国民情報伝え政府の施策納得してもらうことが必要であると主張した1939年昭和14年2月14日、第74帝国議会予算委員会報告対す賛成演説でも、三木政府国民に対して情報オープンにするよう主張時局乗じて利益貪る者がいる反面多く国民困窮している状況指摘し更には当時強まりつつあった統制経済動き行き過ぎ批判した三木議会政治家として民意重視訴え続けたが、一方その民意重視姿勢は「戦争遂行対す国民的熱意」に従うことに繋がり三木議会での活動基本的に戦時体制肯定的なものとなった

※この「帝国議会デビュー」の解説は、「三木武夫」の解説の一部です。
「帝国議会デビュー」を含む「三木武夫」の記事については、「三木武夫」の概要を参照ください。

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