ワダ・エミとは? わかりやすく解説

わだ‐えみ〔‐ヱミ〕【ワダエミ】


ワダ・エミ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 04:02 UTC 版)

ワダ・エミ
生誕 (1937-03-18) 1937年3月18日[1][2]
日本京都府
死没 (2021-11-13) 2021年11月13日(84歳没)
出身校 京都市立美術大学
(現・京都市立芸術大学
職業 衣裳デザイナー
配偶者 和田勉(2011年死別)[3]
受賞 アカデミー衣装デザイン賞(1986年)[注 1]
織部賞(2007年)
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ワダ・エミ(通常は本人の意向に従い「ワダエミ」と表記[4]。本名:和田恵美子[1][2]1937年昭和12年〉3月18日[2][5] - 2021年令和3年〉11月13日)は、日本衣裳デザイナー。映画と舞台の双方で世界各地で数多くの作品を手がけ、日本人としてはこの分野で初めて世界的に広く知られる存在となった[6]

略歴

京都府出身。同志社女子中学校・高等学校を経て、1959年に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)西洋画科を卒業。大学在学中の20歳の時、NHKのドラマ制作部にいた演出家の和田勉(2011年に死別)と結婚。1957年、夫が演出する舞台『青い火』の衣裳を手がけたのを機に衣装デザイナーとなる[7]

以後、日本映画の衣装デザインを数多く手がけ、とくに『』(1985年・黒澤明)の衣裳デザインにより日本人女性初となるアカデミー賞衣裳デザイン賞)を受賞したことで世界的に知られるようになった[8]

その後は勅使河原宏利休』や大島渚御法度』のような日本映画だけでなく、メイベル・チャン宋家の三姉妹』、チャン・イーモウ(張芸謀)『HERO』、ピーター・グリーナウェイプロスペローの本』など国内外の著名監督の作品に多数かかわった[2][8]。1993年にはエミー賞[9]、2007年には女性初の織部賞グランプリを受賞。

またオペラ・演劇・舞踊でも作品を数多く手がけ、とりわけイタリアヴェローナで上演された『トゥーランドット』や[10]英国ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『リア王北京公演(2017年)[11]、などが知られる。

2021年11月13日、死去[2]。84歳没。訃報は同年11月21日に発表された[2]

2022年3月27日第94回アカデミー賞において、逝去した映画人に哀悼を捧げるイン・メモリアム英語版のコーナーで追悼された[12]

主な業績

映画

舞台

その他

実家・野口茂平衛について

ワダ・エミの曾祖父にあたる野口茂平衛(野口茂平)は富山県出身。裸一貫で大阪に出て医薬品販売「立志堂」を経営し、富を得た。それによって神戸六甲山一帯を我が物とし、京都下鴨で2000坪の土地を手に入れ、後妻・たつのために屋敷を建てた。また、天保山私立遊園地の発起人となり、大阪市議にもなっている。しかし、肺病の薬として売り出した「肺労散」が宮武外骨の『滑稽新聞』[14][注 2]にインチキ医薬品と指弾され、茂平衛個人も「詐欺師」「野蜘蛛」と激しく批判された。著書に『肺病新論』がある。

茂平衛の跡は子の進が継ぎ、さらにその次男である信男が跡を継いだ。信男も大阪で製薬会社を興したが、第二次世界大戦敗戦によって会社を手放した(会社そのものは、別人の手によって現存)。信男と寿美子の夫婦は4女1男を儲けた。その第一子が恵美子である。

脚注

注釈

  1. ^ a b #外部サイトに映像。
  2. ^ 和田勉 「この道」連載48回では、同じく宮武の「著書『スコブル』で、薬を法外な値段で売る茂平衛薬九層倍商法を徹底的に叩く」とあるが、『滑稽新聞』が正しい。なお、『滑稽新聞』も『スコブル』も宮武が編集した雑誌である。また、宮武は茂平衛を「茂平」と表記している[14]

出典

  1. ^ a b "ワダ エミ". 講談社 / デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2021年11月21日閲覧
  2. ^ a b c d e f 衣装デザイナーのワダエミさん死去 映画「乱」でアカデミー賞:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2021年11月21日). 2021年11月21日閲覧。
  3. ^ 衣装デザイナーのワダエミさん死去 「乱」で米アカデミー賞”. 産経ニュース (2021年11月21日). 2021年11月21日閲覧。
  4. ^ ワダエミ、千葉望『ワダエミ 世界で仕事をするということ』新潮社〈とんぼの本〉、2013年5月31日、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-10-602246-3NCID BB12615896 
  5. ^ 3月18日はワダ・エミの誕生日です”. FASHION HEADLINE (2014年3月18日). 2021年11月21日閲覧。
  6. ^ Ng, David (2006年11月26日). "A costume design empress". Los Angeles Times (アメリカ英語). 2021年11月21日閲覧
  7. ^ ワダ・エミ(インタビュアー:森直人)「『アカデミー賞』受賞でも成功とは思っていない、ワダエミの流儀」『CINRA』、2015年3月16日https://www.cinra.net/article/interview-201503-marystuart2021年11月21日閲覧 
  8. ^ a b Emi Wada(ワダ・エミ). "An Interview with Oscar-winner Emi Wada". Embassy of Japan in the UK (Interview) (イギリス英語). 在英国日本国大使館. 2023年12月20日閲覧
  9. ^ EMI WADA” (英語). Television Academy. 2021年11月21日閲覧。
  10. ^ Emi Wada, Costume designer - 公演”. Operabase. 2021年11月21日閲覧。
  11. ^ King Lear - Chinese Folio Translation Project”. Royal Shakespeare Company. 2021年11月21日閲覧。
  12. ^ “【米アカデミー賞】千葉真一さん、追悼コーナーで「俳優・格闘家」として紹介 ワダエミさんも”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年3月28日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202203280000565.html?mode=all 2022年3月29日閲覧。 
  13. ^ ワダエミ(インタビュアー:本橋涼介)「ワダエミが衣装を手掛ける映画「サムライマラソン」が公開 飽くなき創作の原動力とは?」『WWDJAPAN』、2019年2月24日https://www.wwdjapan.com/articles/8078182021年11月21日閲覧 
  14. ^ a b 和田勉「この道」連載48回(『中日新聞』2003年2月3日号 夕刊)

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