戦災による休校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:16 UTC 版)
「大阪市立敷津小学校」の記事における「戦災による休校」の解説
1945年3月13日の大阪大空襲では、木造校舎を焼失する被害を受けた。また校区の被害も甚大だった。鉄筋校舎は残ったものの、空襲で被災した浪速区役所の仮庁舎が置かれた。 戦災による校舎・校区の被害により、疎開先から児童が帰阪した1945年11月以降は大国国民学校を間借りして授業をおこなった。翌1946年には正式に休校措置がとられ、大国国民学校(1947年大阪市立大国小学校)へと統合されている。 休校中の校舎は浪速区役所として1949年まで使用されたのち、1951年より1953年まで大阪学芸大学附属天王寺小学校(現・大阪教育大学附属天王寺小学校)の仮校舎として使用されていた。大阪教育大学附属天王寺小学校はもともと大阪学芸大学天王寺校舎(現在の大阪教育大学天王寺キャンパス)内にあったが、大学の設備拡充のために大学キャンパスとは別の場所に独立校舎を建てることになった。新校舎完成までの一時期、敷津小学校校舎を仮校舎として使用した。
※この「戦災による休校」の解説は、「大阪市立敷津小学校」の解説の一部です。
「戦災による休校」を含む「大阪市立敷津小学校」の記事については、「大阪市立敷津小学校」の概要を参照ください。
- 戦災による休校のページへのリンク