戦災による小学校統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 10:08 UTC 版)
「大阪市立大阪北小学校」の記事における「戦災による小学校統合」の解説
太平洋戦争の戦災は、地域にも大きな被害をもたらした。曽根崎国民学校は1945年3月13日・6月1日の2度の大阪大空襲で被災し、また梅田東国民学校は1945年6月7日の大阪大空襲で被災している。北野国民学校・堂島国民学校の校舎は空襲被害を免れたものの、校区に壊滅的な被害を受けている。 終戦直後には、戦災による校舎被害や地域人口の減少により、国民学校の大幅な統廃合が実施された。堂島国民学校・北野国民学校は1946年に休校となり、曽根崎国民学校へと統合されている。 北野国民学校の校舎は大阪市立扇町商業学校の校舎へと転用され、また堂島国民学校の校舎は大阪市立扇町高等学校の校舎へと転用された。扇町高等学校はその後中之島に移転し、戦前の堂島小学校跡地はNTT関連ビルとなっている。 1947年の学制改革により、地域では大阪市立曽根崎小学校・大阪市立梅田東小学校が発足した。
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