戦災傷病者の治療
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 04:57 UTC 版)
大空襲までの空襲では、現場近くに臨時救護所を設け応急処置をし、重傷者は大塚病院、若林病院、寺沢病院に搬送した。しかし、大空襲によって徳島市内の病院は、鈴江病院以外はほとんど全滅したので、戦災傷病者は徳島県庁、鈴江病院、富田国民学校などに一時収容し、重傷者は南井上村伝染病院、日開国民学校、鴨島国民学校に搬送し、ここで約1カ月治療した。戦災傷病者のうち経過良好な者や余病併発の患者は八万・富田両国民学校、四所神社に無料診療所を設置し、診療に当たった。その後、陸軍病院からの申し出があり、佐古・富田両国民学校に約半年間、無料診療所を開設した。
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