堺空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 15:05 UTC 版)
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)当時、日本には180の都市があり、うち58都市がアメリカ軍による空襲を受けた。アメリカ軍は180都市を人口の多い順に空襲する作戦をとり、堺市は人口18万人で空襲順位は24位であった。広義の「大阪大空襲」で着弾目標地点が置かれたのは大阪市(空襲順位2位)と堺市、兵庫県尼崎市(同25位)のみである。アメリカ軍は堺市を空襲都市に選んだ理由を「堺の主要価値は大阪市に近接していて、その工業が大阪市と統合されていることである。また、この都市は大阪の軍需工場の労働者に住宅を提供している。大阪の工場に打撃を与えるために、堺の軍需工場は疎開可能箇所として重要である」(アメリカ軍の作戦任務報告より)としているが、実際は非戦闘員を目標にした無差別爆撃であった。被害は工場より民家に集中した。 3月13日・14日 - 第1次堺空襲(第1次大阪大空襲):B29による焼夷弾投下。 6月15日 - 第2次堺空襲(第4次大阪大空襲):B29による焼夷弾投下。 6月26日 - 第3次堺空襲(第5次大阪大空襲):B29による焼夷弾投下。 7月10日 - 第4次堺大空襲(第6次大阪大空襲):B29による焼夷弾投下、着弾点を初めて堺に置く。 8月10日 - 第5次堺空襲:艦載機による機銃掃射。
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