堺県の郷学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:24 UTC 版)
堺県では強力な行政指導によって郷学校が設立されたことが特徴とされる。なお、堺の市内(堺市九間町の天神社内)には江戸時代より「郷学所」があったが、明治初年には「堺郷学校」への改名を経て「県学」と格上げされ、英語を教える中等教育機関と位置づけられた。 1872年(明治5年)年2月、堺県は県域の河内国(河州)を29区、和泉国(泉州)を25区に分ける区制を導入。1872年(明治5年)年3月、県は寺子屋・私塾の廃止を指示、その師匠を吸収し、各区に1校の郷学校(必要に応じて分校)を設置することが指示された。 1873年(明治6年)4月13日、堺県で学制が施行され、従来の「郷学校」は「小学校」に再編された。この際、小学校名は通し番号が採用された。
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