栗原貞子
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栗原 貞子(くりはら さだこ、1913年3月4日 - 2005年3月6日)は詩人。「生ましめんかな」や「ヒロシマというとき」で知られる。
- ^ 古浦千穂子「栗原貞子の人と文学」
- ^ 庁舎は鉄筋コンクリート造4階建ての建造物で、被爆に際して比較的損傷の少なかった地下室が多数の被爆者の避難場所となっていた。この時の庁舎は戦後も長く使用されたが、貯金支局の移転を経て1988年に解体・撤去されたため現存しない。被爆建造物調査委員会(編) 『被爆50周年 ヒロシマの被爆建造物は語る - 未来への記憶』 広島平和記念資料館、1996年、p.146参照。
- ^ 作者はこの詩について、「不安と死にとりかこまれた状況の中で、新しい生命が生まれたという話をきいて感動して書いた」と述懐している。『核時代の童話』詩集刊行の会、1982年、p.50参照。
- ^ 詩の中の「赤ん坊」のモデルとなった女性が2013年10月に語った記録があり、母(詩の中の妊婦のモデル)や産婆についても言及されている。作者栗原との面会・交流の機会もあったという。『人類が滅びぬ前に 栗原貞子生誕百年記念』広島文学資料保全の会、2014年、p.117~119参照。
- ^ 「本誌がついに見つけた!原爆詩(生ましめんかな)で死んだはずの人は生きていたあの日の助産婦=生れた子、生んだ母、生ましめた人の二十二年目の対面」『女性自身』1988年8月14日号、光文社
- ^ 「助産婦のヒロシマ」『中国新聞』1988年8月2日
- ^ 小松弘愛「栗原貞子 生ましめんかな―原子爆弾秘話」『高知学芸高等学校研究報告』30号別冊、1981年
- ^ “焦土の闇生まれた光 「生ましめんかな」モデル”. 中国新聞. (2015年8月7日) 2020年8月11日閲覧。
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